生きているのが当たり前のような錯覚。
普通に生活していると、この錯覚が錯覚とは感じられないほどに麻痺している。
自己防衛の知恵なのか、恐怖からの逃避なのか。
生きていると、誰しも何度か死にたいと思ったことはあると思う。
だが、本当に一線を越えるその瞬間になると、心底激しく後悔する。
どんな状態でも、たとえ半病人でも役立たずでも今は何の希望もなくても、ただ生きていたいと猛烈な激情が内側から突き上げる。
自分が死んでも誰にも知られず、明日の朝にはなにも変わらずに陽は昇り一日が始まり、人々はお構いなしに食べて働いて日は暮れる。
そして、しばし悲しみの対象になったあと、自分はいずれ忘れ去られる。
そう、恐怖の根幹は忘れ去られること。
取り返しのつかない失敗をしたという背筋の凍る感覚。
先週日曜日、11月9日に行われた友人の追悼ライブ。
友人が所属した3組のバンドが一堂に会し、渾身の演奏をした。
喪った友人を忘れずにいるのも、生きてさえいれば…と、そんな注釈をするまでもなく、強烈な印象をこの世に残した。
みんな、きっと忘れないと思うよ。
本日の気分は「レンガ色」。