暖かく明るい正午の駅前プロムナード。
昨日の土曜日、ちょっとした用事で駅前まで出かけた。
あまりの気候の良さにしばらくプロムナードで音楽を聴きたくなった。
思えば、ローリングストーンズのチケットを買った1月中旬から、曲を覚えるためにストーンズ漬けの日々。他のものは一切聴いていなかった。
怒涛の冬だった。いつの間にか季節が変わっている。
自然と、自分の音楽史をたどるような選曲になった。
と同時に、当時の状況が浮かんでくる。
20代前半までは、クラシックしか聴いていなかった。
初めて本格的なファンになったハウンドドッグ。
25歳の頃に、今後の人生はおまけでいいというくらいに打ちのめされ、再び浮上しようとしていたところ、またもや打ちのめされた28歳の頃。
●ハウンドドッグ「ジェラシー」
●ハウンドドッグ「ロングラン」
ロングランの「喜びは一握りだとわかってる、それでいいさ」
という歌詞。
当時、このフレーズに甚く感銘を受けた。そしてこのような自己暗示をかけてしまった。
誰もそんな制限を強制していない。
この世は喜びに満たされているのに。
この制限を持ち続けて、怒りをぶつける対象を確保しておきたかった。
自作自演の責任転嫁。
●シャンソン「枯葉」
「さくらんぼの実る頃」も聴きたかったが、音源がなく「枯葉」しか入れていなかった。
広告業界とはいったい何だったんだろう?
今となっては夢のようだ。
常識・非常識、合法・非合法ごちゃまぜのバイオレンス。
完全に手の切れた今、安心して振りかえられる。
本当に殺されそうになったアントニオ猪木に比べれば、私の場合はおそらくギミックだったんだろう。
●ボン・ジョヴィ「ブレイズ・オブ・グローリー」
●ボン・ジョヴィ「イッツ・マイ・ライフ」
アシスタントをしていた女社長。
映画「プラダを着た悪魔」のミランダそっくり。
公私混同しないだけマシだった。
だけど、社員の何倍も働いている姿を間近で見ていると何も言い返せない。
表現の仕方があさっての方向で伝わらなかったが、社員を愛してくれていた。
たまに気になってネットで見ると、会社の住所が変わるたびに都心に近づく。
私は耐え切れずに辞めたけど、今の社員を大事にしてあげてね。
●沢田研二「憎みきれないろくでなし」
●沢田研二「酒場でDABADA」
「アリフ・ライラ・ウィ・ライラ」と「魅せられた夜」が聴きたかったが、マイナーな曲らしく、今のところ動画サイトでしか聴く方法がない。
最近になってやっとこのような軽妙な洒落た歌を聴けるようになった。
当時のことを今、再体験している。
「明日は女社長が○○会社に営業に行くから、最短経路を調べて資料をそろえて…」
と、いつの間にか本気で段取りを組み、ハッとする。
同時に今この瞬間、私はここにいる。では、この私はなんだ?
時間が偏在する。
どれが私だろう?
いや、すべて私だ。
無意識に沈み込んでいたものが曲によって誘われ意識上に顔を出す。
おそらく、今の段階で癒されたいものだけが…。
そして、素直な感情を自覚することで癒され燃え尽きる。
その後は、存在そのものを否定し憎んでいた相手でさえ愛おしい。
しばし抜け殻のようになり、リセットされる。
そうしてリセット後、最初に聴きたくなった曲は…。
18歳の頃、ベートーヴェンにのめり込んだきっかけになった曲。
「ピアノ協奏曲第5番『皇帝』」。
この懐かしい響き。頭の中で嵐が渦巻く。
「皇帝」に関わる様々な記憶が一斉にスパークする。
万物流転。
戻ったのではない。何度目かのリスタートが来た。
本日の気分は「帝王紫」。