檻から解き放たれた。
しかし、自由になったわけではない。
荷車に乗り処刑台へ行き、荷台から見下ろしている彼が自分を処刑する。
アントワネットの最期の姿、真に王妃らしい威厳に満ちた亡くなり方は、もはや伝説化しつつあるが、先日行った「マリー・アントワネット展」でこの肖像画を観て、改めて鳥肌が立った。
原画はかなり大きいサイズで、150号(およそ227×162)~200号(同259×181)くらいあるかもしれない。
※書物等の資料とは若干配置や人員構成が違うので、心理描写としての演出なのだろう。
アントワネットの表情が丁寧に描き込まれている。
その瞳の向かう方向を辿っていくと……
なんと、処刑人(サンソン)を凝視している。
自分に残された時間はあとわずか。
手を下す男が自分を見おろしている。
周囲は憎悪と敵意の嵐。味方はいない。
その状況で、逆に処刑人を見据えられるだろうか。
相対的自己規定は意味をなさない。
自分がどうしたいか。自分の良心、自分の矜持、元王妃という属性に基づく威厳、何より、人としての尊厳を保って最期の瞬間までの時間を生きた。
これが軽佻浮薄で自己の立場を省みず、自分の楽しみを追うことしか考えていなかったアントワネットの最期の姿、アントワネットの真骨頂。
「万物流転」人は変われる。
「徒手空拳」武器などいらぬ。
私の好きな2つの言葉。
そしてもう一つ。
「内面を掘り下げよ。泉は心の内にある」~マルクス・アウレリウス
(写真2番目と3番目:王妃時代の盛装用ドレスとその後姿)
本日の気分は「帝王紫」