以下は何年か前の今の時期のある日の日記。
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1週間ほど前から家の中に体長2ミリくらいの蜘蛛がいた。
壁をはっているところをチラシで叩いて獲ろうとしたのだが、歩くのが速くて天井に上がってしまった。
それから、天井を広範囲に歩き回っていたが、いつの間にか見えなくなっていた。
だが、時々姿を現し、相変わらず天井をグルグル回っていた。
多分、フィールドアスレチックをやっていたのだと思う。
そして今日の夜、ちょうど目の前の高さにいたので、全神経を集中させて叩き落とした。
たとえ蜘蛛が相手でも常に全力で相手にぶつかることが成長を促す。
これで、ホウキを相手にしても名勝負ができると言われた「燃える闘魂」の領域に一歩近づけたような気がする。
落ちた蜘蛛は負傷しながらも逃げようとしていたので、止めにもう一回叩いた。
これで完全に動かなくなったが、念のためにもう一回叩いた。
多分、これでもう大丈夫だろう。
だが油断してはいけない。自分の考えている常識がこの世の全てではない。
この蜘蛛に対して、私は今「バカの壁」の内側にいるかもしれないのだ。
壁は越えるためにある。そしてその壁は、高ければ高いほど超える価値がある。
「叩かれて動かなくなった蜘蛛は死んでいる」という蜘蛛に対する人間の常識は、超えるに値する壁だ。
動かなくなった蜘蛛を更にもう一回叩き、蜘蛛は北斗神拳を受けた野盗の様相を呈した。
これでもう大丈夫。なんといっても北斗神拳は中国四千年の歴史を持つ無敵の拳なんだから。
今日、私は人間として一回り成長した。しかし、成長には痛みが伴うのも世の常である。
中国四千年の歴史の重み、蜘蛛の命の重み、人間にとっての衛生害虫、様々な問題を提起して蜘蛛はその短い生涯を閉じた。
この蜘蛛の死に報いるためにも、問題から逃げてはならない。共存か排除かという二者択一しか道はないのであろうか。
「燃える闘魂」は言う。
「この道行けばどうなるものか
~(略)~
迷わず行けよ、行けばわかるさ!」
そうだ、道は最初から決まっているものではないのだ。
虫と違って我々人間は可逆性を持っている。間違えたらやり直せばいいのだ。
ただ、やり直してばかりでちっとも進んでいないような気が…。
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あれから、今の時期は毎年どうしても2、3匹は蜘蛛が出る。
先日また見つけたのだが、害虫スプレーは持っていないので、とりあえず何でもいいからスプレー吹きかけとけ、と思って普通の霧吹きを吹きかけた。
上記の年は北斗神拳で倒したが、今回は南斗水鳥拳だった。
ただし、霧の勢いがスプレーのように強くないためか今回は敵に逃げられた。
ちなみに、「何でもいいからスプレー」と思うことはよくあって、今までの実績では防水スプレーや、デザイン用のスプレー糊、水彩絵の具用の色止めスプレーがある。
この中では防水スプレーが一番効果的のようだ。
ビリジアン。