今さらだけど、この前描いたボン・ジョヴィとタイガー・ジェット・シンの原画をどこに置いたか忘れてしまった。
HPに載せる分のスキャンは葉書を作る時についでにやっているから困らないけど、やることをやった後は何もかも忘れてしまう。
いつもこんな調子で、1月後半になってから探して、色止めをしてやっとしまっている。
※色止めとは、保存する際に画材が色落ちしないように、その画材に合わせた色止めスプレーを吹き付けること。
今年は今になってようやく気がついた。
多分、どこかにあると思うけど、昔は新聞の間に挟んで、そのまま捨ててしまったこととかあったんですよね~。
灰桜。
昨日、ダイアナ妃のことを書いたら久しぶりに追悼特集を見たくなり、今日引っ張り出してきて見てみた。
写真が粗くて驚いた。当時はこれで普通だったんですね。
やはりイブニングドレスが目を引くのだが、86年に来日した時の宮中晩餐会でのドレスが、この本を買ったときから気に入っている。
鳥丸軍雪のデザインで、濃い青の全身が細かいプリーツで、同じ色のクラッチバッグは扇形。
青い石(サファイア?)のヘアバンドをしている。
同じ本かどうか忘れたが、軍雪の追悼文を読んだ。
最後の方に、ダイアナがエジプトかどこかへ行った時に後姿を撮ったのだが、それが当時の彼女の状況を如実に表していていたたまれかった、というような話が書いてあった。
人は後姿はつくれない、後姿はその人がそのまま出てしまう、だから自分はデザインするとき、バックを大事にする、と続けていた。
そういえば、昔私もイラストを描く前の段階でのアイディアを出すためのラフデッサンで、後姿ばかり描いていたときがあった。
みんなどんな方法でラフを描いているのかアカデミックな教育を受けたことのない私はわからないけど、私の場合は15秒~30秒くらいのペースで50~100枚描くという方法が多い。
アイディアが出尽くしても手を止めてはいけないと決めているので考えているヒマがなく、数十枚を過ぎるとだんだん思いもよらないものが出てくる。
その中にはいいものがあるときもある。もちろん、いつもうまくいくわけではないが。
それで一時期、何枚描いても後姿ばかり出てきたことがある。
積極的に後姿を描きたかったのか、それとも正面を描きたくなかったのかはわからない。
でも、後姿に注目する時って、自分が悩んでいるとか苦しい状況にあるときが多いような気がする。
最近はすっかりそんなことは忘れていたが、これがいいことなのかどうか。
まぁ、キャパが広がったということにしておこう。
コーラル。
多分、今までに書いた記憶はないが、イラストを描く時にガムを噛むことが多い。
いつ頃からか覚えていないくらい以前からそうだったが、最近では似顔絵が多いのでそれを例にとってみると。
まず、誰を描くかが決まると、そこからまたいろいろと考えることが出てくる。
表情だとか、向き・角度とか、引くか寄るか、等、頭の中のイメージに近い資料を探す時もあるし、逆に誰か決まっていない状態で写真などを見て「コレ描きたい」と思う時もある。
その後、その人物についての情報を集めて、自分の中での人物像を確定する。
そして、それを表現するのに、画材(色鉛筆か水彩絵の具かアクリルか、水彩用画用紙か、それなら目の粗さはどれくらいか、それともケント紙か…等)、色合い、タッチをイメージする。
それから実際に描きながら軌道修正が必要な場合は戻る、という感じで描いている。
ただし、体系的に美術の勉強をしたことはないので、このやり方でいいのかどうかはわからないが。
そして、その各所で、いろいろと考え続けているとガムを噛みたくなってくるのです。
それで思わぬアイディアが浮かんだり(特に昔、自分でテーマを決めて描いていた時はありがたかった)頭がスッキリすることが多いので、TVかなにかで「咀嚼は脳にいい」と聞いた時は妙に納得した。
ところで、テーマが決まらない、アイディアが湧いてこない時って、好きでやっていることとはいえ非常に苦痛で発狂しそうになるんですよ。
例えて言うと、頭のずっと奥の方に海賊ものによく出てくるカギつきの宝箱があって、それがどうしても開かないような気分なんです。
でもどうしても時間内に開けなければ自分の身が危ない。
いろんな道具を使ったり箱を倒したり力づくで開けようとしてもどうにもならず、後ろからは敵(期日)が迫ってきて半泣きになっても絶対に自分で開けなければ先に進めない、という感じでしょうか。
それが私の能力の限界なのだろうけど。
そういう時は、こんなこと言ってはいけないけど、苦し紛れにイケナイ薬が欲しいと思ってしまうこともある。
アイディアが湧いてくるなら悪魔に魂を売り渡してもいいと思ってしまう瞬間もあるんです、実際。
ただ、私は意志が弱いので、一度ハマッたら絶対に抜け出せないだろうということがわかっているし、初めから別世界のものという認識があるのでイケナイ薬には縁がないが。
だから、自分のようなタダの趣味で描いている者でもそうなのだから、プロのアーティストがその手の薬に手を出したという話を聞くと、社会的な判断は別として気持ちはよくわかる、なんてエラそうだけど。
瑠璃。
イラストを描くのに資料を集める時、最近はネットで見られるので以前よりだいぶ楽になった。
その他、雑誌、写真集を見たり、今までのスクラップブックを参考にしたり、図書館に行ったりするのだが、先日、気づいたことがある。
それはTV画面をカメラで撮ること…って気づくのが遅いよ。
というのも、子どもの頃、ブラウン管TVをカメラで撮った時には真っ白になってしまって何も写らなかったので、それ以来TV+カメラはNGという先入観があった。
PCをTVとつなげていたり、TV+ビデオカメラ+スキャナーとか、もっとラクに(というかスマートに)できる方法もあるのかもしれないけど、まぁいいでしょう。
実際、人物の場合、例えばTVで見た時に気に入ったプロレスラーの表情が週刊誌に載っているとは限らないんですよね。
そして一度撮ればそれをPCのデスクトップやケータイの待ちうけにしちゃったりして、ますます妄想力を強化するのです。
モーブ。
よく日記に「イラストの資料」と書くけど、その「資料」とは書籍、ビデオ、ネットで拾ったもの、スクラップブック、スケッチブックなどを指す。
そのうちのスクラップブックは、20年ほど前から気が向いた時に雑誌や各種パンフレットで探したり、偶然見つけたどうしても欲しい物をファイルしている。
だが、画風も主題材もいつの間にか変わってきたし、いらないものは捨ててもいいかもしれないと思って見てみた。
結局捨てられないのだが、見入ってしまったのは10代の頃に大学ノートに描いていたイラスト。
当時、絵を描く目的の大学ノートをいつも持ち歩いていて、気が向くと学校の休み時間や放課後に描いたりしていた。
挙句はそのノートだけでは飽き足らず、普通の授業のノートの後ろの方とか、提出しないとわかった途端に練習問題のプリントの裏に描いたりとか、教科書の扉(って真っ白でしたよね)にエンブレム風や額縁入りの肖像画風に描いたりしていた。
今残っているのは大学ノートだけなのだけど、この頃の画風(などと言えるほどちゃんとした絵ではないが)を見るとやはり当時の心情というか、どんな人間だったのかわかりますね。
当時は自分ではわからなかったが、今回久しぶりに客観的に見てみたら驚いた。
当HPを作る前は描き終わった絵をあまり大事にしていなかった。
というのは、題材を決めて、その題材について調べて、自分の解釈を確立して、何枚もデッサンを描いて、その世界に入って実際に描く、というまでが楽しかったので、描き終わると燃え尽き症候群のようなカンジになって、あとのことはどうでもよくなったりするんですよね。
いつだったか、間違って新聞の間に挟んでしまったらしく、そのまま回収に出してしまったこともある。
だが今回のような発見もあるので、HPのupに関係なく大事にした方がいいかな~と思った…。
コバルトブルー。