あと1週間もすればひな祭りですね。
この時期になるとよく思い出すことがある。それは、電光掲示板に流すコンテンツの企画・デザインをしていた会社でのこと。
企画の1つとして、季節の行事のアニメーションを制作・送信していたのだが、この時期は行事が多い。
節分が終わったと思ったらすぐにバレンタインデー、息つくヒマもなくひな祭り、またすぐにホワイトデーと、転職して1年目の私はペース配分もわからず、目の前ことをこなすことで精一杯だった。
さてバレンタインデー分の制作が終わり、急いで次のひな祭りに取り掛かろうとしたのだが、資料を集めるのをすっかり忘れていた。
それで、スケジュール管理などをやっていた、もう一人のスタッフMさんが昼休みにデパートをまわって雛人形のパンフレットをもらってきてくれたのだが、これが驚いた。
店員さんに「もうこの店用の1部しかない」と言われ、「じゃあそれでいいです」と言って強引にむしり取ってきてしまったのだそうだ。
Mさんは某高級住宅街に住んでいる社長令嬢で育ちがよく、普段は間違ってもそんな強盗のようなことはしないのだが、よほど締め切りにアセッていたと見える。
資料が手に入った私もホッとして小躍りして喜んだ。
もう少し余裕があれば店員さんに名刺を渡し、資料提供として御社の社名のクレジットをサービスします、くらいの交渉はできただろうし、その件を営業さんに引き継げば年間の契約を取れたかもしれない。
若かった私達は自分達のことしか考えていなかった。
この社長令嬢Mさん、そしてもう一人事務にいた、D園調布のお嬢様。
ナゼこんな零細企業で働いているのか当初は謎だったが、私が入社する2~3年前、当時営業マンだった社長が会社を乗っ取るまでは、非常に業績の良い会社だったそうだ。
それはともかく、育ちの良い彼女達に見えていた世界は愛に満ちていた。
彼女達の人生は、奪わなくても必要なものは十分にあり、その絶対的な安心感が精神的な余裕につながっていた。
彼女達から見れば、私は育ちの悪い狂犬病かなにかに見えたに違いないと思ったが、それこそ育ちの悪い私の発想であって、彼女達には他人をそのように見るという発想そのものがない。
彼女達は、なにもかもをニュートラルな視点で見ていた。
元トップ営業マンで会社を乗っ取った社長はただ会社を経営している中年男性であり、社長自身が求めていた権威権力や賞賛に対してさえもニュートラルだった。
社長が女子社員の歓心を買おうと業務中にやってきてオヤジギャグを言い始めると、ごく自然に実に心地の良い会話をし、その短い会話で十分に満足した社長はご機嫌で営業に行ってしまう(「怪物」と言われた社長の営業力は健在だった)。
私のような持たざる者、何かを得るためには別の何かを諦め、この世は敵対する存在であり、スキあらば足元をすくわれ、自分の身を守るために嘘は二重についておき、切り札は最後まで取っておき、いざとなれば共倒れや肉を斬らせて骨を断つことも仕方がない、
と自分自身で思い込み、勝手に敵を作っていつも神経を尖らせていた私との人間力の違いは明らかだった。ほとんど人種が違うと言ってもいい。
だが彼女達は、この業界には織り込み済みの、社内スパイや盗聴器や、私立探偵に社員の行動を尾行させるようなことにはニュートラルではいなかった。
これらのことに気づいて暫くして彼女達は相次いで退職した。
いずれも理由は体調不良で、最後まで他者のことは悪く言わなかった。
最近巷で「ノーブレス・オブリージュ」という言葉がよく聞かれるようになったが、この欧米の貴族や富豪の、身分に見合った社会的責任・義務という発想は主に寄付やボランティアを指すことが多いように思うが、帝国時代のイギリスでは、爵位を持つ貴族の長男はこの思想に基づき、志願兵として戦場へ行ったそうだ。
確か、騎士道精神の3原則は、
神への忠誠、女性への礼節、戦場での勇気
だったと思う。
ノーブレス・オブリージュが精神的なものまで指すとなると、彼女達の優雅な優しさ、周囲への配慮、誰にも恥をかかせず、自分の信念に基づいた毅然とした決断はまさしくこれに当たる。
会社に残った女性は、経理のスーパー叩き上げ、とぼけたフリをして言いたいことをみんな言ってしまう人、その他新人さんなど。社長をフォローする人はもういない。
そして経理の女性も、その後間もなく退職することになる。
そもそも、育ちの良いお嬢様はこんな業界にいてはいけない。
赤の他人にモノを買ってくれと要求するような品のないことを生業とする業界を、まるで憧れの花形業界のように人に錯覚させるには先人達の大変な苦労があっただろう(棒)
今では日本を代表する広告代理店「D」の悪名は名高いが、まぁだいたいどこもこんなものである。
ラベンダー。