先日、4人ものノーベル賞受賞者が出たということで話題になったが、そのうちのある人についてちょっと驚くことがあった。
その人は、名前は忘れたが(申し訳ないが)クラゲの人。
そして驚いたというのはその息子さんについて。
息子さんはコンピューターウイルスだかハッカーを撃退するみたいな仕事で、非常に高度な技術を持っているということで、アメリカでは凄く有名な人だと紹介されていた。
その写真を見た時。
10年以上前に、新聞で一度見たことがあったことを思い出した。
よくある人物紹介のコラムだったのだが、まずその表情がとても印象的で、つられて記事も読んだ。
凄い人なんだな~と思ったものだが。
その顔が忘れられなくて、時々「あの時のコラムの人は…」と思い出したりしていた。
そして今回、クラゲの人の息子さんの写真を見た時、名前は忘れていたけどこの人だと確信した。
通常、私は残念なことに人の顔を覚えるのが得意ではない。
似顔絵を描くのにまったくもってやっかいな弱点である。
一度に大勢の人を紹介されることがある時なども非常に困っている。
以前、養老孟司が「唯脳論」について語るセミナーを聞いたことがあるのだが、その中で「日本人はなぜ欧米人に比べて人の顔や名前を覚えるのが苦手なのか」という話をしてくれた。
理由の一つは、欧米人はこの手のパーティーが多く慣れている、というもの。
もう一つの理由が印象深かったのだが、文字の読み方からくる脳のキャパシティの関係ではないかと言っていた。
日本語の漢字は、一つの字でいろいろな読み方をする。
対して、他のどの国の言葉でも、一つの字に対しては一つの読み方しか当てられていない(「A」は「エー」としか読まない)。
それで、日本人が使っている分のキャパシティは、機会が多い顔を覚えることに使われているのではということだった。
そして、顔に対して名前という関係が、文字に対する読み方のような関係なのではないかとも言っていた。
言われてみれば、あ~なるほど~! と目からウロコのような話だった。
ちなみに、今は海外でも日本のマンガが人気らしいが、昔から日本人がマンガが好きなのは、同じ原理で絵に対しての噴出しは文字に対するルビの役割と同じなので、文字の読み方を読み分ける日本人には楽な作業なのではないかということだった。
本題に戻るが、その日本人の中でも私はどうも人と比べて顔を覚えるのが苦手なのだが、10年前のあの写真があんなに印象に残っていたのは、とにかく表情がとてもよかったことが挙げられる。
なんというか、素直な自信に満ちた剣のない表情で、みとれてしまって何時間でも見ていたいくらいだった。
加えて仕事内容が、なんかPC関連の凄い技術を持っていて、それを誰も知らないところで人のために役立てていて、実は知らない間に危機を回避してくれていた、というのが映画みたいで感動してしまった。
今回久しぶりに見た写真でも、以前と同じように素直な自信に満ちた剣のない表情だった。
こういう部分で変わっていないのは非常に感慨深い。
この人をモデルにした映画もあるそうなので、機会があったら見てみたい。
鴇色。