また出た。
今までも何度も新しい見解として出て、胃ガンだ(あるいは肺ガンだ)、いや毒殺だ、いややっぱり胃ガンだ、いや最新の調査では毒殺だと二転三転し、素人にはなにが一番新しい解釈だかわけわからなくなっている。
それで、今度は毒殺否定説が出た。
それだけ感心を集める事件なのだろうけど、DNA鑑定なども出始めた時よりかなり精度が上がっていると聞いたが、最終的な結論は出ないのだろうか。
ところで、いかに落ちぶれたとはいえ、ナポレオンを毒殺するような勇気があるかな…とはやっぱり素人考えか。
ナポレオンが最後に住んでいたところは「セント・ヘレナ島」という、アフリカ大陸からかなり離れた孤島で、監視されながら生きていた。
要はそこで何らかの原因で亡くなったのだが、実は島流しに遭ったのはこれで二度目で、一度目は「エルバ島」というところへ流され、島の統治権も持たされていてずっとマシな暮らしだった。
そのエルバ島から脱出し、フランス皇帝に返り咲いて俗に言う「100日天下」になるのだが、そのエルバ島への島流しの時も、あまりにも今までの功績が偉大だったので恐れ多くて命までは取れないという感じだったと思う。
そして二度目は、もう二度と脱出できないようなところへ追いやったのだが、「あの」ナポレオンなら生かしておいたら何度でもゾンビ(失礼)のようによみがえってくるという恐怖から命を奪ってしまってもおかしくないか…。
でも今回の説では毒殺否定。
ナポレオンについては、特に軍事的才能について語られることが多い。
実際、元々の素質も大きいが(陸軍士官学校時代から特出していた)、当時既に「孫子」を読んでいてそれを実践し、後に神聖ローマ帝国皇帝(だったかな?)は、「ナポレオンより先に孫子を読んでいたら彼に勝てた」と言ったらしい。
だが、ナポレオンの真の功績は、フランス革命後の混乱した国家をその政治的手腕で集約し、近代国家に生まれ変わらせたことだ、とはナポレオンを題材にした劇画を描いた池田理代子の説だが。
事実、現在のフランスは「ナポレオン法典」が基盤になっている。
ナポレオンは、陸軍士官学校で軍事の他も概ね良い成績を収めた。
だが、20歳の時に突然自分は実は何も知らないのだと思い、その日から無我夢中で勉強し始めた。
皇帝に就いたのは40歳(←後日訂正)34歳の時。
猛烈に勉強し、猛烈に仕事をし、そうして一人特出しすぎて、周囲の人間が無能に見え、次第に傲慢さが現れてきたそうだ。
周囲がついて行けなかったのか、ナポレオン一人が将来を見通しすぎて突っ走ってしまったのか。
理解できないということは恐怖につながる。
ナポレオンはもはや恐怖の対象だったのだろう。
それで、ついて行くこともできず、命を奪うこともできず、遠く見えないところへ追いやってしまった。
だが、ナポレオンのその原動力は、ただフランスを平和にしたいという思いだった。
恐怖の対象として見られると、その純粋な思いまで奪われてしまう。
それは仕方のないことなのだろうか。
ナポレオンの遺体は、死後約20年経ってからやっとフランスへ返された。
現在は遺言通り、フランスの地に眠っている。
ワインレッド。