マリー・アントニオの日記へようこそ…今日の気分を、好きな薔薇の花の色にたとえて日記に綴っています。現実には存在しない色もありますがそこはご愛嬌?
| Admin | Write | Comment |
カレンダー
01 2025/02 03
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28
プロフィール
HN:
マリー・アントニオ
性別:
非公開
自己紹介:
生年月日:1967年
★詳しくはコチラ
★日常、趣味、その他について感じたことをとりとめもなく綴っています。
★上記HPも興味があったら是非見てください。イラスト、ショートショート、エッセイ等を載せています。
最新CM
[11/19 マリー・アントニオ]
[11/18 DD]
[11/18 DD]
[11/18 DD]
[11/17 マリー・アントニオ]
[11/17 あっちゃん]
[07/27 マリー・アントニオ]
[07/27 あっちゃん]
[03/23 マリー・アントニオ]
[03/23 あっちゃん]
おまけ
アーカイブ
バーコード
ブログ内検索
フリーエリア
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

また一人、プロレス界の偉大な功労者が亡くなった。

「金曜夜8時」。
今ではノスタルジーを伴う伝説のようになってしまった言葉だが、私がワールドプロレスを観始めた当時、初代タイガーマスクのデビューをキッカケに、一時は毎週視聴率20パーセントを越えていた「プロレス黄金時代」と言われる時代だった。

そのワールドプロレスを実況面で支えたのが、古館アナと解説の小鉄さん、そしてゲストの東京スポーツの櫻井氏という面々だった。
番組が始まり、古館アナから実況席の紹介が終わり「さて!リング上では…」と続くと、「これから至福の1時間が始まる」とワクワクしたものだった。

その、解説をしていた当時の小鉄さんで印象に残っていることがある。

1983年前後だったかと思うが、いつものように番組が始まってしばらくした頃。
古館アナから、思いもよらない緊急アナウンスが入った。
一般試聴者からの依頼ということで、依頼主はプロレスファンの息子さんを持つお母さん。

アナウンスによると、息子さんが家出をしてしまい、行方がわからない。
ただ、大のプロレスファンなので、この番組をどこかで必ず見ているハズ。
心配している、連絡してくれ、という内容だった。

古館アナが一通りの説明を終え、小鉄さんに「心配ですね」という感じでその話題を振った。
そして、小鉄さんの返答もまた思いも寄らないものだった。
曰く、

「一人で悩んでいないでよかったら新日道場に来てくれ。」

もっといろいろ話していたように思うが、大意はこんなところだった。

当時の新日道場は、アントニオ猪木の方針でオープンだった。
常時見学自由で、一般のプロレスファンが自由に選手のトレーニングを見学することができた。
プロレスのトレーニングは、いつ何時誰にでも自信をもって見せられる、ということを身を以って示す目的だったと思う。

蛇足だがこの「新日道場」という呼称について。
当時高校生の私は剣道部だったのだが、格技場(施設によっては「武道場」)に入る時に、
入口で上座(入口の正面に当たる壁)に向かって礼をして「お願いします!」と言わなければならないとか、
上履きであろうがなんだろうが、靴の類を履いて入ってはダメだとか、
練習の初めと終わりに主将や顧問の先生にならわかるが、上座の壁にまで礼をしなければならないとか、
出る時はまたまた上座に向かって「ありがとうございました!」と言いながら礼をしなければならないとか、
意味がわからないがとにかく「武道をする場所は神聖なもの」ということを「道」の精神どおり型から学んだ。

プロレスは柔道や剣道などと同じ「道」ではないが、新日の練習場が「トレーニングジム」などではなく「道場」という名称であるからには、なるほど精神鍛錬の目的もあるのかと、精神性を重視する猪木さんとつながったような気がした。

そして、後に前田日明が「キャデラックの音がしただけで震えあがった」と回想した鬼軍曹・小鉄さんは、ただ恐ろしいだけのコーチではなかった。

思えば現役時代、不利な体格をカバーするために、自身も鬼のようなトレーニングをしていた小鉄さん。
だからこそ、悩み多き少年の心情を親身になって考えられるのだろう。

それまで、雑誌の相談コーナーなどで見る大人の対応といえば、自分達子どもの悩みに対して明らかに自己の保身から形式主義のモラリズムを以って上から目線で説教されたり、あるいはなんとなく丸め込まれている?と思うようなものばかりだったが、小鉄さんは「一人で悩んでいないで道場に来い」と言ってくれた。「一緒に汗を流そう」「話を聞く」と言ってくれた。

自分が好きな世界の大人が真摯な姿勢で対応してくれることは、「信頼」という気持ちを育てる大きな力になる。
この世は敵対する存在ではなくなる。

その後、家出をした少年がどうしたかはわからないが、次の週の番組内では何もふれていなかったことにも、子ども心に「そっとしておこう」という意図がわかり、より一層信頼感が増した。

小鉄さんはその後、いろいろな団体のコーチをしたが、常にこの真摯な姿勢を持ち続けたのだろうと思う。

利休色。

PR
この記事にコメントする
+Name+
+Title+
+Mail+
+URL+
+Comment+
+Pass+
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
小鉄さん
あっちゃん
ありましたね覚えてます小鉄さんらしい逸話ですね

しかし、若くして逝ってしまい残念です

あの時代が懐かしいですもう来ないでしょうね

小鉄さんは精神論も肉体論も兼ね備えた素晴らしい指導者でした
僕もmixiに書いたので、良かったら読んでください。m(__)m
2010/08/30[Mon] 05:55:15 :EDIT:
小鉄さんの時代
マリー・アントニオ
のプロレスラーは、食事やトレーニングメニューが豪快でしたもんね。最後までそのスタイルを通したのも小鉄さんらしいです。
ゴールデンの頃も、まだいろいろとメチャクチャな部分はあったと思うけど、だからこそドサクサにまぎれていろんなことができたという気もします。
あっちゃんの日記も読ませてもらいました。実は、悲嘆にくれているのだろうと思って自分のを書いてから読ませてもらおうと思ったのだけど、もしかしてまだ実感がない??みたいですね。
2010/08/30[Mon] 23:01:59 :EDIT:
≪ Back  │HOME│  Next ≫

[1136] [1135] [1134] [1133] [1132] [1131] [1130] [1129] [1128] [1126] [1125]

Copyright c 本日の薔薇の色。。All Rights Reserved.
Powered by NinjaBlog / Material By Mako's / Template by カキゴオリ☆
忍者ブログ [PR]