ニコ動で池田理代子原作のアニメ「おにいさまへ・・・」を見終わった。
この作品は、原作よりもアニメの方が感動する。
各キャラクターの性格が丁寧に描かれ、演出、オリジナルのエピソード、ストーリーの運び方等、最終回まで引き込まれた。
最も、原作は1970年代でアニメ化は1990年頃、しかもアニメは出崎・杉野の黄金コンビなので、原作を超えた、と言われるのもうなずける。
池田理代子については、実は作品は好きだが本人はあまり好きではない。
とはいっても、私は「ベルばら」を読んで絵を描き始めたのだし、「女帝エカテリーナ」も「エロイカ」(←ナポレオンの話)も楽しく読ませてもらい、その感動は残っている。
そんなわけで、この日記でもたびたび見解を引用させてもらってけっこうお世話になっている。
彼女の作品は、あの粘着質で選民意識の強い性格と超自我(特徴としては、常に「完璧」という幻想にとらわれ、かえって自己矛盾を起こしている)が昇華されたものなのだろうということが、年代順に読んでいるとよくわかる。
それはクラシック界とロシア革命にからめて様々な立場の人間の内面的描写を描き分け、それぞれの価値観からくる幸・不幸を極限まで追求し、最後に主人公を破滅させてしまった「オルフェウスの窓」に最も顕著現れていると思う。
彼女の作品はドロドロ恋愛絵巻、又は社会的に虐げられている者(特に女性)の、時に救いようのない人生を描く、という印象が強いと思うが、初期の頃から「自尊心」をそれとなくテーマに掲げ、それをエッセンスというにはあまりにもあからさまなセリフを言わせたりする作品も多く見られる。
漫画家として初期の作品「ベルばら」も、初めは編集部に「少女漫画の読者に歴史がわかるわけがない」と反対されたが約束どおりヒットさせ、社会現象にまでさせた。
編集部の差別的ともとれる言葉がよほど悔しかったらしく、連載中もジェンダーの時代特有の差別的な中傷が数多くあったそうだ。
その後「オルフェウスの窓」で日本漫画家協会賞の優秀賞をもらい公的に認められると、「少女漫画」というジャンルから卒業した形をとった。
それ以降は自ら「劇画家」と名乗り、より社会に受け入れられやすい形で歴史上の人物を描いている。
紫綬褒章をも賜り、文化人として満足だろう。
だが当時の差別は根強く心の底に残っているらしく、今でも折に触れては話の中に出てくる。
「漫画家」時代を卒業して初期の頃に描いた作品が現在、物議をかもしているが、私はその作品は当時2巻まで読んだがおもしろく感じなかったので捨ててしまった。
それまでは彼女の作品はどんなものでもおもしろく感じていたのに、その感覚が持てないことが非常に不思議だった。
そして、よりにもよって捨てるなんて、それまでだったら考えられなかったことなので、その奇妙な気分はよく覚えている。
ロクに読んでいないため何ともいえないのだが、それまでいつも作品を読むと感じていたものが作家特有の感覚・感性に対するシンパシーなのだとしたら、件の作品がおもしろく感じられなかったこともうなずける。
そして、現在行われている検証にも真実味を感じる。
藤色。