新聞のある記事に目が留まった。
それは「日本の住宅照明は貧しい」というもの。
欧米の場合、用途や目的に合わせていろいろなタイプの照明器具を使っているが、日本の住宅はただ明るければいいと言う感じだ、という内容だった。
これを読んで、以前どこかで同じような話を読んだな~と思って考えていたら思い出した。
それはカラコ(カラーコーディネーター)の試験の勉強をしていた時。
ネット上でもなにか資料がないかと探していた時に、とあるインテリアコーディネーターらしき人のサイトを見つけた。
「らしき」というのは、プロフィールが書いていなかったのではっきりとはわからないのだが、おそらくそうなんじゃないかという内容のサイトだったため。
今回の照明に関する話の他、様々な住宅関連の話が載っていた。
そのサイトの記事によると…。
日本は木の文化であり、住宅を作るのに木を使った。
障子や襖や雨戸、又は昔の横にスライドする玄関など、外からの光を取り込む部分は移動でき、光がさしこむ面積を好きなように変えることができる。
又、障子の薄い和紙を通した光は関節照明のような効果がある。
それに対してヨーロッパは石の文化。
石を使った住宅は、一度作ったら光の差込口を移動することはできない。
又、重い石は日本の住宅のように開口部を大きくすると壁に負担がかかるため、最小限の大きさの窓しか作れない。
それで、薄暗い室内をなんとか工夫しようとして照明が発達した。
…という内容だった。
読んでいてなるほど~! と思った。
余談だけど、それで思い出すのがフェルメールの「手紙を読む女」。
窓から差し込む光の下で手紙を読む夫人、微妙な光のグラデーション、透明感、静寂。
フェルメールの確かな技術と自信の成せる技だそうだ。
そういえば昨年のフェルメール展、行かなかったな~。
話は戻って、現在の日本の住宅も特にマンションなどはヨーロッパの性質に似ているから、照明にも関心が向かうようになってきたのかもしれない。
そういう私もナゼこの記事が目に留まったのかというと、今の部屋には一応スポットライトのレールがあるのだけど、1つしかつけていなくて(あとは普通のペンダントライト)以前からあと2、3個つけたいな~と考えていたのだった。
ただ、スポットライトの白熱電球(又は白熱色)の色は夜にイラストを描くときに色が変わって見えてしまうんですよね。
あ~どうしようかな~~と思って早何年…(汗)
ペールブルー。
1日に書いた「明日の神話」の話。
あとから気づいたことだけど、見つかったのはブラジルではなくてメキシコだった。
確か、以前も間違えたんですよね。
どうしても太郎のイメージは私の中ではブラジルらしい。
あと、メキシコというとマスカラスのイメージがあり、他のものが入るスキがないのもあるかもしれない。
それを言ったらブラジルは猪木さんだけど、この方の場合パラオだのパキスタンだの浮かんでくるから…。
「太郎=メキシコ」って難しいな~。ノートに1000回くらい書けば覚えるかな。
それより、太郎がメキシカンハットをかぶってポンチョを着てタコスを食べている方がいいかな~。
あっそれとも、メキシコの祭事の仮面をかぶって踊っているところとか…。
あっ! どうせならマスカラスとタッグを組んで闘っているところとか!
サボテン色。
先日ニュースで見たのだけど、岡本太郎の壁画「明日の神話」の設置場所が渋谷駅に決定したそうだ。
この壁画は何年か前にブラジルで見つかって、関係者の尽力で日本に戻り、2年前の夏に汐留で短期間ながら初公開された。
写真は観に行ったときに撮ったもの。
その後、常設場所の誘致に渋谷、川崎、大阪、広島が名乗りを挙げていたのだが結局渋谷駅に決まり、公開は10月からと言っていたかな?
初めてこの壁画が「見つかった」と新聞の記事で読んだとき、この写真を見てコンマ1秒後にはナゼか号泣する勢いで泣きが入ってしまった。
原爆をテーマにしたものなのだけど、それだけ人に訴えるものがあるんだろうな~。
太郎は「芸術はみんなのもの」というような考えだったから、その遺志をついで設置場所もみんなが自由に観られるところを予定していたらしい。
広島でなくていいのかな?と思うけど、国外の人も見に来ることを考えれば渋谷駅の方が便利かもしれませんね。ついでに私にとっても(笑)
設置されたらぜひ観てください。
爆発色。
帰ってきて、新聞の番組欄を見て仰天した。
岡本太郎の、例の「明日の神話」公開だって!!!
ああもうっ!今日だったのかー!
バラ園にうつつを抜かしていてすっかり忘れていた。
何が何でも21:00まえにテレビの前にスタンバイするべく、もう明日はないというほどの勢いで動いた。
まずテーブルにはアイスコーヒー!
それからメイクを落とす!太郎さんにペルソナなんて無意味なのだ。
それから上着は黒!全てを吸収する色。私のフェバリットカラー!
そして書くもの。コピー用紙の束5ミリほどとペン。
最後に、号泣した時のためにハンドタオル。
さあ用意は整った。もう誰にもジャマはさせん!
そしていよいよ始まったのだ。
よりにもよって汐留でやっているよ。まあいいか。
50秒後には早くもウルウルし、3分後には眼の焦点が合わずトランス状態。
生きててよかった…(爆)
マジメな話、いつも私は岡本太郎に浄化させてもらっている。
同じ人間なのに(同じではないが…)この差はなんだ。
私は何をしてあげられるんだろう。
赤。
最近、日本の洋画家の盗作疑惑が報道されているが。
曲がりなりにも多少の絵を描く立場から、やはり盗作疑惑というのは関心が向く話である。
結論から言って、盗作と断定されても仕方がないくらい似ていると思う。
通常、こんなに他人の作品とソックリになることはまずありえない。
創作活動をする人がこれをやったらもう終わりなんだよね…。
「品」についてあまり語りたくないが、創作する上で、一度落ちた品は元には戻らないのだ。
「アート」とは「表現」であり、それはつまり「自己表現」であり、「自己表現」とは自己の内面を掘り下げること。
そしてその自己の内面を豊かにしているものは、どれだけたくさんの試行錯誤を体験し、どれだけたくさんの違う価値観を肌で感じだか」という実体験の裏打ち。
全存在をあげた経験がなければ真に人の胸を打つものは作れないし、同じように作る時に全存在をあげなければ人の胸を打つものは作れない。
……と私ごときが偉そうに言う。
ブルーグレー。
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昨日、「ダヴィッドは好きではない」と書いたが、では好きな画家はというと。
まずこのドラクロワ!
自画像はあまり目にする機会がないけど、この絵を描いた人だといえば「あ~あれか」という方が多いんじゃないかな。
何年か前にこの絵が(確か)西洋美術館に来て見に行ったけど、やっぱりよかったなー。
もう一人、ブーシェ!
絶対王政の宮廷文化華やかなりし頃の、ポンパドゥール夫人をパトロンに持った幸運な人。
このブーシェやフラゴナールの享楽的な絵を見ていると現実を忘れられますね。
これはイタリアへ留学していた若き日のブーシェの自画像なのだが、この自画像、いいな~。
昨日のダヴィッドを引き合いに出すと、画家でありながらゴテゴテ装飾のついた椅子に座り、自我ムキ出しの表情を得意げに描くダヴィッドに対し、この素朴な家具、質素な服、第3者の目から見たような客観的な自画像。
留学中だから質素なのは当たり前かもしれないが、それなら描かないという選択もできたはずだ。
自己保身のためになりふり構わず、思想も良心も投げ打ってまで芸術家などと名乗るのではなく、どのような外的要素にも惑わされず、自己の価値観にのみ基づいて生きる人にあこがれるのですよ。
油色。