何ヵ月も放っておいてナンですが、今日はいきなりショックです。
このブログをリンクしているHP「ROSE KHAOS」の他に素材サイトを持っているのだけど、某企業から昨年の11月にそのサイトの作品を使わせてくれとアクセスがあったのに今頃気がついた。
なんと10ヵ月も前ですよ。
自分の管理責任とはいえ、せっかくの機会をフイにしてしまい、1時間くらいのたうちまわった。
先方には「事情があって長いことネットを開けませんでした(テヘ)」と言うしかない(テヘは言ってませんが)。
また機会があれば協力したい旨も伝えたが、1分1秒を争う広告業界、こんな相手とは仕事をしたくないでしょう。
ROSE KHAOSの方でも2年に1回くらいはこういうことがあるが、ちゃんとした(?)素材サイトへのアクセスは初めてなので、それ自体は非常に嬉しい。
最近私はリア充(古い?)です。締め切りもクレームもない世界で、静かに平和に過ごしています。
昨日は近所のシアターに能を観に行った。
座った途端に眠くなり、前半は居眠りしながら観た。なんて失礼な。
東海道線の通勤では立ったまま眠るのが常識だが世界は広い。
座っていても居眠りがタブーの場所で常識の壁を破り、今日私は人として一回り成長した。
先日も某カフェで2時間ほど居眠りしてしまったし、緊張から解放されたからか最近は座ると眠くなる。
エメラルドグリーン。
西部開拓時代の無法者ビリー・ザ・キッドを歌った曲「BLAZE OF GLORY」。
ボン・ジョヴィの中で最も好きな曲であり、最も感情移入できる曲、ファンになった2006年から毎日のように聴いている曲。
今までに何度も途中まで書いては消しての繰り返しだったが、きっとこれでは永遠に終わらない。
また書きたくなったら何度でも書けばいいのだ。私の中では完全に消化されてはいないが、今の時点での感想を書いてみたい。
長い間、「GLORY」というのがよくわからなかった。キッドにとっての栄光ってなんだろう。
上官に裏切られ母を殺され無法者に落ち、賞金をかけられていつ殺されるかもわからないキッド。
やることもなく誰にも必要とされず誰も信用できず、後世に伝えるものも残すものもなく逃げ続けるだけの日々。
そんな日々がいつまで続くのかもわからない。
「賢い大人になれるの」とキッドに聞いたのは無邪気な少女だろうか。
キッドは大人になるまで生き続ける希望を見出せない。
安らぎがあるとしたら、もはや天国しかないだろう。
英語圏での使い方を見る限り、「GLORY」というのは地上の栄光というよりは天国の幸福感に近い印象を受ける。
そうすると、「BLAZE」は、炎というよりは光、すなわち天国の光。
ピューリタンの歴史上、キッドといえども信仰心は持っていただろう。
誇張にしても、21歳の生涯で21人を殺したという伝説が残るキッド。
天国の光の中に落ちて行くのに、
「(神に)今さら許してもらおうとは思わないが」と懺悔に対する諦観の念を表してはいるが、先に銃を抜かなかった(卑怯な真似はしなかった)、だから大人の男として死なせてくれとだけ願っている。
この歌はキッドの遺書なのだ。陰鬱なイントロは、キッドの慟哭に重なる。
西部劇を見るとよく決闘のシーンが出てくるが、この時代の決闘は話に聞くほど正々堂々としたものではなかったそうだ。ルール無用のだまし討ちが横行していたらしい。
決闘一つとっても、家名に泥を塗るような行為は許されなかったヨーロッパの名門貴族のような、磐石な社会基盤はまだ無い時代。誰でも生きるだけで精一杯だった。無法者の末路は言うに及ばず。先に銃を抜かなかっただけでも十分に大人の男だろう。
そしてこの「先に銃を抜かなかった」というのは、「人の命が草より軽い」と言われた西部開拓時代の、社会的混乱の被害者、という比喩ともいえる。
キッドを討ち取ったのはかつての盟友パット・ギャレットだった。
パットを責めることはできない。キッドよりはるかに年長の彼は、余生を一社会人として平穏に過ごすことを望んだ。
キッドを暗闇の中で撃ったのは、昔の仲間を討ち取るのに明るいところで正面から撃つことはできなかったのだと思いたい。
後年、そのパットも最期は背後から撃たれて絶命している。
キッドの生涯は多くの人に実に様々なインスピレーションを与えているようだが、私にとってのそれは、矢吹ジョー、デビルマンにも通ずる、アウトサイダーの居場所論になる。
キッドは年の割には、また「無法者」という言葉から受ける印象とは違い、社交的で饒舌だったそうだ。
彼の周りは一筋縄ではいかない無法者の大人ばかり。
その中で居場所を確保し保身を図るには、周囲との適切なコミュニケーションが欠かせない。
その綱渡りのような生涯の緊張と絶望感はどれほどのものだったのか。
まさにコリン・ウィルソンのいう「アウトサイダー」の典型例であり、興味は尽きない。
※「キッド」というのが通称になっているが、子牛や子羊(又はその革製品、あるいはステーキ)を連想してしまうので個人的には「ビリー」と言うことも多い。
ボルドー。
あと1週間もすればひな祭りですね。
この時期になるとよく思い出すことがある。それは、電光掲示板に流すコンテンツの企画・デザインをしていた会社でのこと。
企画の1つとして、季節の行事のアニメーションを制作・送信していたのだが、この時期は行事が多い。
節分が終わったと思ったらすぐにバレンタインデー、息つくヒマもなくひな祭り、またすぐにホワイトデーと、転職して1年目の私はペース配分もわからず、目の前ことをこなすことで精一杯だった。
さてバレンタインデー分の制作が終わり、急いで次のひな祭りに取り掛かろうとしたのだが、資料を集めるのをすっかり忘れていた。
それで、スケジュール管理などをやっていた、もう一人のスタッフMさんが昼休みにデパートをまわって雛人形のパンフレットをもらってきてくれたのだが、これが驚いた。
店員さんに「もうこの店用の1部しかない」と言われ、「じゃあそれでいいです」と言って強引にむしり取ってきてしまったのだそうだ。
Mさんは某高級住宅街に住んでいる社長令嬢で育ちがよく、普段は間違ってもそんな強盗のようなことはしないのだが、よほど締め切りにアセッていたと見える。
資料が手に入った私もホッとして小躍りして喜んだ。
もう少し余裕があれば店員さんに名刺を渡し、資料提供として御社の社名のクレジットをサービスします、くらいの交渉はできただろうし、その件を営業さんに引き継げば年間の契約を取れたかもしれない。
若かった私達は自分達のことしか考えていなかった。
この社長令嬢Mさん、そしてもう一人事務にいた、D園調布のお嬢様。
ナゼこんな零細企業で働いているのか当初は謎だったが、私が入社する2~3年前、当時営業マンだった社長が会社を乗っ取るまでは、非常に業績の良い会社だったそうだ。
それはともかく、育ちの良い彼女達に見えていた世界は愛に満ちていた。
彼女達の人生は、奪わなくても必要なものは十分にあり、その絶対的な安心感が精神的な余裕につながっていた。
彼女達から見れば、私は育ちの悪い狂犬病かなにかに見えたに違いないと思ったが、それこそ育ちの悪い私の発想であって、彼女達には他人をそのように見るという発想そのものがない。
彼女達は、なにもかもをニュートラルな視点で見ていた。
元トップ営業マンで会社を乗っ取った社長はただ会社を経営している中年男性であり、社長自身が求めていた権威権力や賞賛に対してさえもニュートラルだった。
社長が女子社員の歓心を買おうと業務中にやってきてオヤジギャグを言い始めると、ごく自然に実に心地の良い会話をし、その短い会話で十分に満足した社長はご機嫌で営業に行ってしまう(「怪物」と言われた社長の営業力は健在だった)。
私のような持たざる者、何かを得るためには別の何かを諦め、この世は敵対する存在であり、スキあらば足元をすくわれ、自分の身を守るために嘘は二重についておき、切り札は最後まで取っておき、いざとなれば共倒れや肉を斬らせて骨を断つことも仕方がない、
と自分自身で思い込み、勝手に敵を作っていつも神経を尖らせていた私との人間力の違いは明らかだった。ほとんど人種が違うと言ってもいい。
だが彼女達は、この業界には織り込み済みの、社内スパイや盗聴器や、私立探偵に社員の行動を尾行させるようなことにはニュートラルではいなかった。
これらのことに気づいて暫くして彼女達は相次いで退職した。
いずれも理由は体調不良で、最後まで他者のことは悪く言わなかった。
最近巷で「ノーブレス・オブリージュ」という言葉がよく聞かれるようになったが、この欧米の貴族や富豪の、身分に見合った社会的責任・義務という発想は主に寄付やボランティアを指すことが多いように思うが、帝国時代のイギリスでは、爵位を持つ貴族の長男はこの思想に基づき、志願兵として戦場へ行ったそうだ。
確か、騎士道精神の3原則は、
神への忠誠、女性への礼節、戦場での勇気
だったと思う。
ノーブレス・オブリージュが精神的なものまで指すとなると、彼女達の優雅な優しさ、周囲への配慮、誰にも恥をかかせず、自分の信念に基づいた毅然とした決断はまさしくこれに当たる。
会社に残った女性は、経理のスーパー叩き上げ、とぼけたフリをして言いたいことをみんな言ってしまう人、その他新人さんなど。社長をフォローする人はもういない。
そして経理の女性も、その後間もなく退職することになる。
そもそも、育ちの良いお嬢様はこんな業界にいてはいけない。
赤の他人にモノを買ってくれと要求するような品のないことを生業とする業界を、まるで憧れの花形業界のように人に錯覚させるには先人達の大変な苦労があっただろう(棒)
今では日本を代表する広告代理店「D」の悪名は名高いが、まぁだいたいどこもこんなものである。
ラベンダー。
小学校4、5年の時、非常に仲の良かった女の子(Tちゃん)の話。
Tちゃんとは4年生の終わり頃から一緒に遊び始め、クラス替えがなかった5年生の時もずっとその調子だった。
途中大ゲンカをしたのだが、クラスのクリスマス会のプレゼント交換で、私が買ったものが偶然Tちゃんの手に渡り、その流れでお互い謝って仲直りしたということがあって、余計に印象深い友人になっている。
最近、その子が着ていたコートの色を突然思い出した。
それが、鮮やかな真っ赤で、色だけは思い出したが形状が思い出せない。
多分、その色がよく似合っているという印象があったのだろう。
というか、普段我々が経験している通り、赤は最も注意を引く色なのでその影響かもしれないが。
問題の形状を思い出そうとがんばっていたら、手袋がミトンだったのを思い出した。
こちらは形状のみで、色や模様は思い出せない。
ただ、考えていたらTちゃんはいつもニコニコ笑っていたことを思い出し、性格も明るく、子どもにしては安定感があった。
大ゲンカの原因は多分、私がつくったのだろう(笑)
そして、色も印象的だったが、コートや手袋など防寒具のフワフワしたものが似合うのだということに気がついた。
未だ形状は思い出せていない。
真っ赤。
先日、今年の年賀状のファイリング(というほどの枚数はないが)をするついでに、今までのハガキも整理しておこうと思い立った。
ちなみに、1年間アクセスのない人はセキュリティのために住所録から削除とか昔書いたことがあるが、ハガキ・手紙関係は幼稚園の頃から全てとってある。
ハガキの整理といっても、ハガキホルダーの背表紙についに年号を書くことに決めたくらいのことなのだが。
というのは、ファイル類にタイトルを書くのが好きではないという困ったクセがあるのです。
そして、年号だけ確認すればいいのにやはり見入ってしまうんですね。
10年以上前のある年の弟からの年賀状。
「最近は東洋思想ばかり読んでいる。瞑想しろ。」
と書いてあった。
弟とはいつ話してもナゼか読んでいる本がかぶっていて、この当時は私も東洋思想を読んでいた。
ただ、瞑想には興味がなかったので、
メーソー? あ~あの座ったまま昼寝みたいなことするやつか。
などと思ったまますっかり忘れていた。
その後私は自律訓練法や自己催眠から瞑想に入ったのだが、今度弟に会ったら教えてやろうなどと密かに思っていたら、実ははるか昔に教えられていたというひどいオチであった(笑)
常磐色。
ここ2、3年、自宅の卓上カレンダーを自分で作っている。
今日やっと今年の分を作った。
コレは8月分の写真。昨年の暑中お見舞いの試作3作のうちの一つ。
写真自体は気に入っているのだけど、バラの色が暑苦しいのでボツにしたもの。
出番ができてよかった。
9月分。昨年のバラとガーデニングショウの写真をHPにupしていないのにハガキを作ったりカレンダーを作ったり。
ちょっと加工しすぎたかな?
11月分。なんとその前の年のバラとガーデニングショウのもの。大理石模様のバックが気に入っている。
毎年言うまでもなくバラの写真なのだけど、昨年はあまり撮っていなかった。
それで、昔のをひっぱり出してきたりして、まぁ加工によって随分変わるのでいいのだけど、気に入っている写真はさすがに飽きる。
今年はもっと撮っておこう。
コーヒーブラウン。
本年もどうぞよろしくお願いします。
さて年末からの流れですが、
31日のジルベスターコンサートでは、カウントダウンの曲が「ボレロ」だったのはいいが史上初めて5秒前に終わってしまい、これで来年からの指揮者は気が楽になると慰めにもならないことを考える。
1日のうららかな午後には「地震だ地震だ」とわめき散らし、
3日はまたしてもEテレ朝の能を撮り忘れ、
今日はリニューアルオープンした駅前の大型手芸店を見てみたのだが、以前の5フロアから1フロアになった影響で画材コーナーが著しく狭くなり、非常な不便を感じた。
結局どうでもいいことの連続だった。
多分、今年もこんな調子でしょう。
ボルドー。
内面の大問題について書きますとか言っておいてすっかり放置してしまった。
というのも、こういうのってやっぱりあまり人には言いたくないですよね。
ただ、今回はこういうことに慣れているつもりだったにも関わらず、非常に驚いたので、期間限定(多分3日間くらい)でお話します。
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以下削除しました。(12月22日)
ベージュ。
ネットを見ていたら、「ヘミシンク」に関する話題があった。
なんか聞いたことのある単語だな~なんだっけ…と記事を読んだら思い出した。
2年ほど前、動画サイトでリラクゼーションのための音楽を探していたときのこと。
主にチェンバロ(という楽器)で演奏しているバロック音楽やα波ミュージックを保存していたのだが、そこに関連動画としてヘミシンクのリンクがあった。
聞いたことのない言葉だったが、モノは試しと早速聴いてみた。
1曲聴き終わり、なんか気分が落ち込んできたな~私の体調の方が悪いのかな?と思って試しにもう1曲聴いてみた。
※ここが私の悪いクセで、原因を突き止めようとして深みにハマる。
そして、2曲目の途中で、ナゼか耐えられなくなり途中で止めた。
※これは私にとってはレアケース。音楽に関しては、例え性に合わないものを聴いてしまっても途中でブッタ切ることはなく、必ず最後(キリの良いところ)まで聴く。
曲を止めた直後、激しい不快感、焦燥感、気分の落ち込みが襲ってきて、しばらく能動的な活動ができなくなり、通常の状態に戻るのに数日を要した(放置すると何日くらいで戻るのか知りたかったのであえて瞑想はしなかった。深みにハマるクセが抜けていない)。
その時はただ単に自分の性に合わなかったのだと思ってそれ以来聴かなかっただけなのだが。
今日の記事を読んで改めて「ヘミシンク」と検索したら、キーワードで「ヘミシンク 危険性」とあるではないですか。
それを読んでいくと、同じような状態の例がたくさんあった。
ヘミシンク自体、理論がよく理解できないので肯定も否定もしないけど、これからも二度と聴きたくないという自分の体感の方を信じることにした。
モーブ。
前回も書いたが、今までの日記をシュレッダーにかけている。
16~33歳頃まで書いていて、初めのうちはザッと読んでいたのだが、途中から読まずに処理していた。
そして、1999年頃のものをチラッと見てみたら、当時耳にした印象に残る言葉を書きとめていた。
なかなか興味深かったが、気づくのが遅く残りは下記の分しかなかった。
いつ頃から書きとめていたんだろう。
まず、以前このブログの「映画『あしたのジョー』その3」の最後で書いた、
>画家の故・平野遼の「画家になるのには才能も技術もいらない。
>必要なのは情熱と感動だ」(ウロ覚え)という言葉を思い出す。
の言葉を書きとめていた。
正しくは、
「芸術家にとって大事なのは感動と迫真である。才能も技術もいらない」
(日本画家・中村正義)
だった。しかも肝心の言った人を間違えていたし。
日曜美術館で観て書きとめた言葉なのだが、多分、次週の予告で紹介された平野遼と混同してしまったんだろう。
その他、
●「恐怖は影と共に忍び寄る」
(誰の言葉か覚えていない。ムンクかな?)
●「(大量生産は)生産があるだけで誕生がない」
(ジャン・ルイ・デュマ・エルメス)
●「(礼とは)人が美しく生きる為の規範」
(たまたま放送大学を見た時の書きとめと「礼」の字の成り立ちの解説(図解付き)云々…)
●「自己宣伝も自画自賛もするな」
(映画「サバイビング・ピカソ」)
<番外編>
●「幸福と不幸は同居する」(自分)
なんだこれは(笑)同居するというより、心的態度は自分の意思で選択できる、でしょ。
少しもったいなかったと思うが、今後も素晴らしい言葉にたくさん出会うだろう。
※サーバーからのお知らせで、記事の最後に広告が出るようになりました。ご了承ください。
利休色。
今回の台風は凄かったですね。看板が宙を舞っていたりバス停が倒れたりしていました。
そして過ぎたあとのゴミの散乱。
だが、ゴミがゴミに見えない業種というのがあります。
そうですね、たびたび出てくる、制作をする業種です(被害に遭った方には申し訳ないが、それとは別の話)。
当時はこういうことがあると、明日はどんな思いもよらないものが転がっているんだろうとワクワクした。
とある広告会社にいた時のこと。
ある時、出社するとフロアの一角の天井のボードが崩れて落ちていた。
前日の台風の影響かと思ったが、どうやらウヨ○に襲撃されたらしかった(詳しいことは教えてもらえなかったが、銃がどうのというのが聞こえた)。
こういう業種なので、ソノ手の襲撃がたまにあったらしい。
そこで制作部のスタッフの出番ですよ。
8月5日のセシウムさん問題の時にも書いたが、制作部というのはスキあらば落書きのようなことを言ったりやったりする。
口が減らないだけではなく、机の上も好き勝手に飾りつけをして、自分にしかわからないオブジェやら自作のギャグマンガやら他人を驚かせる目的で作ったびっくりアートの数々。
そんなしつけのなっていない幼稚園児のような我々からすれば、天井のボードは天井に張り付いている時は天井だが、壊れて床に落ちたらそれは格好のエサになります。
みんなで漁って、始業前にはピラニアに襲われた後のように何もなくなった。掃除の手間が省けましたね。
私は一辺20cmくらいのと、それより一回り小さい破片の計3つをゲット。
初めはネームプレートを作ろうと思ったのだが、思ったより脆かったので机の左側に積み上げて段差のある写真立て置き場にした。
ナポレオンの肖像とアントニオ猪木の写真を飾ったのだが、猪木さんの写真は今回のウヨ○の襲撃にかこつけて、当時拳銃密輸疑惑を追求されて記者会見したときの、猪木さんが記者を指さして威嚇している写真を選出した。
そしてそういうものも大抵1ヵ月もすれば飽きて、ある日突然ゴミ箱に無造作に捨て、次のターゲットを漁るのであった。
その後しばらくして、この制作部の惨状を眼にした経営陣の不興を買ったらしく、装飾禁止令が出た。
どこの広告会社も制作部というのはこんなものなのだが、度が過ぎたらしい。
負けた…。
実写版「あしたのジョー」のボディではないが、敵に「そこまでやるのならやってもいいよ」と思わせるだけの説得力がなかったということですね。
そして、他の悪いことと同様、禁止されたものは地下にもぐる。
以降、受話器の内側、引き出しの中など、外からは見えづらいところが主に発表の場になった。
コピー機のフタを開けたら、内側の全面いっぱいに「おぼっちゃまくん」の変な顔が張り付いていた時はビビッた。
鉄納戸。