マリー・アントニオの日記へようこそ…今日の気分を、好きな薔薇の花の色にたとえて日記に綴っています。現実には存在しない色もありますがそこはご愛嬌?
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マリー・アントニオ
性別:
非公開
自己紹介:
生年月日:1967年
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★日常、趣味、その他について感じたことをとりとめもなく綴っています。
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先日も書いた通り、ロシアの伝説的名バレリーナ。
マイヤのプロフィールから始まって、バレエ学校時代から年代順に追っていき、代表作の映像、インタビュー等で構成されていた。

一番見たかった「瀕死の白鳥」をついに見られた。
ナゼかマイヤのこの演目、滅多にお目にかかれない。

「瀕死の白鳥」は、サン・サーンスの「白鳥」という曲に振り付けをつけたもので、2分ほどだが非常にロマンティックで、悲しげで、情感溢れる曲。
白鳥がもがきながら息絶える様子をバレリーナが踊るのだが、その2分の間に凝縮された生と死のドラマに引き込まれる。
マイヤはこの演目を70歳を過ぎても踊り続けたそうだ。

マイヤが生まれたのは1925年。
ロシアでは1917年に革命が起こり帝政崩壊、1922年にソビエトが樹立している。
ユダヤ系だったこともあり、混乱の幼少期だっただろう。両親は処刑されたそうだ。

幸運なことに、ソビエトではバレリーナの地位は非常に高かった。
天性の才能もあっただろうが、生きるために踊り続けなければならなかったのではなかったか?

そういえばマイヤの自伝のタイトルは「闘う白鳥」。
歳を経れば経るほど「瀕死の白鳥」に磨きがかかるのもうなずけるというものだが、マイヤの苦闘の人生をそこから読み取ることもできないほど、ただ純粋で高潔で美しい。

白。

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マイヤ
あっちゃん
マイヤさん、名前しか知らなかったですが、そんなにスゴイヒトとは><しかも2分でそれだけの物を表現するなんて、まさに巨匠!!!瀕死なのに、それでいて、高潔とは。ロシアは本当にバレーの国ですね!!!バレーの発祥なんですかね???
2008/06/08[Sun] 11:51:24 :EDIT:
これぞカリスマ
マリー・アントニオ
ほんとに、この世のものとは思えないくらいでウットリします。腕が、シルクの布をたなびかせるように動くんですよ。
バレエ発祥の地はフランスなのだけど、ソビエトが国家を挙げてバレエの発展に努めたおかげで現在のようなバレエ大国になったのだと思います。
いや、現在ではむしろアメリカかも…。
2008/06/09[Mon] 22:43:39 :EDIT:
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