近隣の市の某自動車工場の某フェスティバルに、付き合いで顔を出した。
車の解体ショーがあるという話を聞いた途端にもの凄いテンション急上昇になったが、昨年はあったものの、今年はないということが判明した。残念。
まぁ「破壊」ではなく「解体」なので、キレイに分解していくパターンなのだろうが。
ちなみに、職場でもなにか分解するものがあったら真っ先に声をかけてくださいと頼んでいる。
「自民党をぶっ壊す」と言った元首相は「破壊」のつもりで言ったのか「解体」のつもりで言ったのかは判断しかねるが、自分だけ楽しい思いをして国民はその恩恵にはあずかっていない。
私も自民党解体ツアーの回数券の1枚でも欲しかったものだ。
そもそも、一国の首相が選挙で明言した言葉にも関わらず、解体に対するこの不遇な扱い。
解体の社会的地位がなぜこんなに低いのかというと、教育の問題だと思う。
子どもの頃から義務教育の一環として、解体の意義と楽しさの両面からアプローチをすることが必要である。
作る方は「図画工作」で。壊す方は「解体」で。
物事を両面から観る眼、逆の立場から考える能力を養う。
車には両輪が必要である。あっ、現代の車は4輪か。
将来の夢はピアニストや医師というのと並び、解体師になりたいという子どもが増えてほしいものだ。
そして、今話題のノーベル賞に最も必要なのは、ノーベル解体賞である。
ノーベルといえばダイナマイト。
つまり爆破=破壊≠解体…ちょっと辛くなってきた。
ただこれだけは言える。未来は解体の先にある。
未来といえば、今日の露店の店員さん達。
自動車工場だけあって、ほとんどが若い男子。彼らの未来は明るい。
(写真:クラシックカー展示場の一台。今上陛下が皇太子時代にご自身で運転されていた車。)
瑠璃色。
先日(といっても2ヵ月ほど前)、某所に於いて、話の流れでランボー風のコスプレをした。
後世に伝えるには憚れるので証拠は残したくなかったが、ここまで来たらの勢いで記念写真を撮ってもらった。
そして、ここまで来たらの勢いで友人に送りまくった。
以下、返ってきた感想。
●ファンキーだね
●プロレス観に行ったの?
●いいな!
●ついていけない
●そんな格好するなんてちょっとビックリ
●プロレス観戦?
●気迫だけは伝わってきた
●楽しみすぎ
●反中(中国)?!熱いわマリーさん
●楽しそう
●よかったですね
●カッコいい
尚、返信は来たがこの件については触れなかった方が1名。
気持ちはわかる。
ガンメタルグレー。
いつもボーっとしているので気づかなかったが、知らないうちに切り裂きジャックに会っていたらしい。
※切り裂きジャックとは、19世紀末にイギリスに実在した連続殺人鬼。
20年前ならともかく、このトシになってこんな目に遭うとは思わなかった。
とはいえ、こんな刺激的な事件は久しぶりなので、その痕跡をしばらく観察した。
状況説明をすると、切られたのは私ではなく、はいていたジーンズ。
左足の大腿部後ろ側が、刃物のようなもので切られていた。
スペックは横方向に10センチ、右から左へ水平から15度ほど。
ただ気になるのは、その切り口があまりキレイではないこと。ナイフの手入れが行き届いていないと思われる。
ジャックにしては詰めの甘さを感じた。失格!
本物のジャックなら道具の手入れを欠かさなかっただろう。
本日の結論:
リアルジャック>>>>>超えられない壁>>>>>にせジャック
利休色。
先日、今年の年賀状のファイリング(というほどの枚数はないが)をするついでに、今までのハガキも整理しておこうと思い立った。
ちなみに、1年間アクセスのない人はセキュリティのために住所録から削除とか昔書いたことがあるが、ハガキ・手紙関係は幼稚園の頃から全てとってある。
ハガキの整理といっても、ハガキホルダーの背表紙についに年号を書くことに決めたくらいのことなのだが。
というのは、ファイル類にタイトルを書くのが好きではないという困ったクセがあるのです。
そして、年号だけ確認すればいいのにやはり見入ってしまうんですね。
10年以上前のある年の弟からの年賀状。
「最近は東洋思想ばかり読んでいる。瞑想しろ。」
と書いてあった。
弟とはいつ話してもナゼか読んでいる本がかぶっていて、この当時は私も東洋思想を読んでいた。
ただ、瞑想には興味がなかったので、
メーソー? あ~あの座ったまま昼寝みたいなことするやつか。
などと思ったまますっかり忘れていた。
その後私は自律訓練法や自己催眠から瞑想に入ったのだが、今度弟に会ったら教えてやろうなどと密かに思っていたら、実ははるか昔に教えられていたというひどいオチであった(笑)
常磐色。
エントランスにセミの羽が一枚落ちていた。
よりにもよって今年(以降)地上に出てくるなんて気の毒にね。
だいたい、安全で涼しい地中で一生過ごせばいいものを、最晩年になってわざわざこんな過酷な環境に出てくるなんて、仏教徒でなくても前世でどんな悪いことをしたのかと思ってしまう。人間なら老人虐待だね。
子どもの頃も、こんな余命数日の瀕死の生き物、気の毒で捕らえる気もしなかった。
ただし技術的にも私には難易度が高く、無理だったと思うが。
まぁこれも一つの生き様だが、子どもに生き様を同情される生き物なんてそうないだろう。
話は戻って、うちの周囲では、毎年8月後半になってやっと鳴き声が聞こえる。
だから時期に関しては気にしていなかったのだけど、別に気になることが。
先日鳴いていた個体が、鳴き方からして明らかに1匹なのだが、2匹でハモっているような鳴き声だった。
鳴き声を出す器官が2つある固体が出てきてしまったのかもしれない。
某ウサギみたいにあるべきものが無いのは悲惨だけど、ありすぎるのもちょっとね。
常磐色。