先日、「あしたのジョー2」を録っていると書いたけど、全47話なのでDVDでも6枚分のスペースが必要になる。
それで、昔のビデオテープで何年も観ていないものは捨ててしまおうと思い、棚をあさってみた。
すると、出てくる出てくる、一度録ったきり観ていないものが。
数年前にも整理したはずなのだけど、まだこんなにあったのかと思うほど。
インデックスをヒマにまかせてカリグラフィーで書いたものとか、きれいに仕上げたものは少しもったいないけど思い切って捨てた。
その際、「羊達の沈黙」や「仮面の男」が出てきたけどコレは捨てない♪
「羊達の沈黙」は以前日記にも書いたことがある。
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/ludwig_op73/view/20070426
非常に好きで何度もレンタルした覚えはあるのだけど、いつ録ったものなのだろう。多分TVからだから、吹き替えになっているんだろうな~(泣)
京紫。
偶然、どこかのチャンネルで「北斗の拳」の外伝「ラオウ伝」というのを見つけて、パートナーと観た。
先日パートナーがこの特集本を買ってきたのでザッと読んでいたのだけど、第一印象は「気持ち悪い」だった。
今時の絵なのだろうけど原作が好きな者としてはあの絵は耐え難い。
さて映像ではどうなっているのかと、観てみなければわからないのでとにかく観ることにした。
ところが。
30分番組だったのだけど、始まった直後から最後まで二人してダメ出ししか出なかった。
曰く
「ラオウを呼び捨てにするな」
「ラオウにタメ口きくな」
「ラオウに向かって期日を延ばしてくれなどというアホな陳情をするな」
「その部下に呼ばれて現場までいちいち出て行くな」
「ラオウが一言言うたびに意見するな」
「ラオウが余計な説明をするな、おしゃべり!」
「そんなの腕一振りで全部なぎたおせ」
「ラオウは神にケンカを売った男。いち戦国武将ではない」
場面が変わるごとに確実にラオウのスケールが小さくなっていく。
世界同時不況よりよっぽど事件ですよ。
ラオウのスケールが小さくなるのに比例してこちらの不満は大きくなり、そのうちに私も普段は気をつけている欠点爆発です。
その欠点とは、ものの言い方がきつすぎるというものなのだけど、それもパートナーに指摘されたからで自分ではまだその加減がよくわからないんですよね。いい年して恥ずかしいけど。
曰く
「知恵遅れのサルが発狂したような顔」
「(ラオウのかすれた声が)場末の酒場で声をつぶしたアル中みたい」
……
多分、これ以上書かない方がいいでしょう。
おそらくスケールが小さくなったのはご時世というか、合理的な理由がなければ殺してはいけないとか、その手の規制が厳しくなったのではないかと思った。
「北斗の拳」の物語の全体像を見れば、残虐な場面もむしろ原作通りの方が合理的なのに、一場面を切り取って槍玉にあげ、むやみに規制をかけるのはやめてほしいものだ。
物語の全体像がくずれてしまうんですよ。
ちなみに、パートナーは私に発言を自主規制してほしいそうだ。
ブロンズ。
しばらく前に「相棒」の映画があった時、凄く話題になっていましたよね。
それで実はドラマを何話か見た。
おもしろかった。
22日から新しいシーズン(最近はこう言うんですね)が始まるそうで、今度は初めからDVDに録っておこうかな~と思っている。
ところでドラマを見ていて思ったのだけど、主役の杉下右京を見てある映画の人物を連想した。
それは、「ランボー」のトラウトマン大佐(ランボーの上司)。
似てないかな?
アーミーグリーン。
明日は終戦記念日なんですね。
ついでに言えば、ナポレオンの誕生日でもあります。
山崎一夫もでしたよね。
ところで、この時期になるとよく思い出すことがある。
15年ほど前のこの時期に偶然見たあるドラマが、非常に面白かった為また見たいのだが、タイトルや詳細がわからないので未だに探し当てられていない。
アメリカが舞台で、家族構成は科学関係の開発をしている日本人男性とアメリカ人女性の夫婦、5才くらいの女の子。
それに「ミスティ」という名の犬。
仕事柄かなり裕福と思われ、大きい家、広い庭、幸せを絵に描いたような家族で、リビングの家具の上には一家三人で撮った写真が飾ってある。
事件は男性が仕事中に突然消えてしまい、それが実は50年前にタイムトラベルをしてしまっていたという話だった。
あとは男性の物語として進んでいくのだが、もとの世界に戻るための研究をしながらその世界での年月を費やしてしまったと思われる男性が、50年後、すっかり老人になってしまってから昔住んでいた家に訪ねてきたラストが非常に印象的だった。
(↑ここが、もしかしたらタイムトラベルを開発して自分で元の世界に戻ったのか、どうも記憶がはっきりしない)
そこでは、50年前と同じく女性と女の子と犬のミスティが住んでいた。
女性がその見知らぬ老人に乞われるままに家に入れると、老人は懐かしそうにリビングをゆっくりと見て歩いた。
家具の上に、女性、女の子、それに男性の一家3人で写っている写真を見つけ、しばしそれを眺めたあと、何も明かさずにただ挨拶をして出て行く。
しかし、ミスティがなにか訴えるように吠えつづけ、女性はただならぬものを察知するが、見知らぬ老人に何を聞けるわけでもなく、ただ車で去っていくのを黙って見ている…。
立派な身なりに運転手つきのキャデラックから、男性はタイムトラベルをしてしまってからの50年間でかなりの成功を収めたと思われるが、去っていく姿には全身に寂しさが滲んでいた。
…というストーリーだったのだが、気になるんですよね~。
あれから、この時期になると番組欄を注意して見ているのだが、それらしきものは見た事がない。
ナゾのドラマだ…。
オーキッド。
駅のポスターで見た。
いつの間にか「ランボー4」が公開される時期が来たんですね。
スタローンものが好きな私としては嬉しい。
昨年、「ロッキー・ザ・ファイナル」が公開された時、実は初めて一人で映画館へ観に行った。
もともと映画館があまり好きではなかったし、レンタルで見られるから…という感じで、友人等と何度か行ったくらいだった。
ナゼ映画館が好きではないかというと、「ロッキー・ザ・ファイナル」を観に行く時に詳しく書いたような気がするので、それを探してコピーしてみた。
--------------------
ところで、どうしてあまり映画館へ行かないのかというと、まず並ぶでしょ。
それに2時間ずっとそこに座っていなければならなくて、自由に動けないでしょ。
それに自分で音量を調節できないでしょ。
それに暗がりで大勢の人がみんな黙って同じ姿勢で同じ方向を見て、なんか怖いんです…。
---------------------
というワケなんです。
でも、昨年のロッキーの時と同じく、今回もコレに限っては映画館で観たいな~。
国防色。
連休中に、昨年公開された映画「マリー・アントワネット」のDVDを観た。
なんの予備知識もなく観たのだが、まぁなんというアメリカンポップなアントワネット!
まずそれにびっくり。
しかし観始めてみると、アントワネットの性質~多少(?)思慮が浅いが、素直で無邪気でかわいらしい~が軸としてしっかりある。
それをよく表現しているのが、作品全体を統一している明るく淡い色調。
衣装や小道具もできる限りパステルカラーを使っている。
そもそもヴェルサイユ宮殿は、有名な鏡の間一つとってもわかるように、豪奢で重々しい。
様々な色の大理石の床、柱、扉の金細工、クリスタルのシャンデリア、天井画、胸像、ベルベットや毛皮や金糸・銀糸のファブリック、庭園にあるいくつもの噴水、運河、離宮。
個々の私室はこぢんまりしているが、全体として見た場合、この舞台を扱うとどうしても重厚で豪華絢爛に、となる。
DVDを観たあとHPを見てみたら、原作者や監督のアントワネット像、アントワネットについての解釈が特に新しいわけではないが、この演出、この音楽は今までに観たアントワネットものとは明らかに一線を画す、新しいものだった。
もう一つ感じたことが、女性側からの視点で描かれていること。
女性監督ならではの、アントワネットの女性としての心情の描き方に無理がなかった。
「マリー・アントワネットの生涯」を著した藤本ひとみも書いているが、14歳の少女が毎晩夫との夫婦生活がないからといって、身もだえするほど寂しいものだろうか。
この男性の手による解釈と思われる定説が長い間信じられてきたが、この作品ではむしろ、世継ぎが生まれないことによる宮廷内での立場の危うさ、周囲からのプレッシャーを描いている。
この時代の王妃に世継ぎが生まれない、ということはどうなるのだろう? カトリックであるから離婚はできないはずだが、尼僧院行きになるのだろうか?
浪費、遊び好きの理由としては、この同盟のために輿入れした国での不安定な立場を紛らわすため、という方がよほど納得が行く。
最も、藤本ひとみはその理由を本人の遺伝的性質と帰結していて、そちらの解釈の方がよほど新しいが。
この作品は、革命によって運命が急転直下する寸前の、ヴェルサイユ宮殿を後にするところで終わっている。
自分の楽しみを追っていたら、ある日突然憎まれていることに気がついた、というアントワネット。
他の作品では、外界で起こっている革命への軌跡も同時進行で描かれているため、観る方は両方の視点から観ることになるが、この作品ではアントワネット自身の視点のみで描かれているため、戸惑いがよくわかる。
しかし、実はアントワネットの真骨頂はここから始まる。
普通の身分で普通の人生を歩んでいたらおそらく幸せだっただろうというのは、アントワネットについての書物では共通の見識だが、その平凡な女性が、好む好まざるに関わらず革命という嵐に投げ込まれたことによって、思慮深く大胆で決断力に富んだ人間に変貌を遂げる。
大ミラボー(王党派の有力貴族)をして「国王の周囲にはもはや男は一人しかいない。それは王妃だ。」と言わしめたほどである。
一家で幽閉されてからのアントワネットの、王党派の貴族と通じて母国オーストリアにフランスに対する戦争をしかけさせようとした凄腕ぶりには、敵である革命家も舌を巻いたそうだ。
そして、死に向かうにつれて真に王妃らしい誇り高い人間に成長して行く。
この軌跡が描かれていないことは非常に残念だが、原作者や監督が興味を惹かれたのはこの前半の部分なのだろう。
どこかで聞いたが、「アメリカン・ドリーム」の国では、滅びの美学とか、散り際の美しさというものには価値観を見出さないそうだ。
しかし、どんなに悪感情をもっていても、一度会うとたちまちその魅力にほだされ好きになってしまうと言われたアントワネットの魅力はこの前半の部分で十分に描かれている。
余談だが、前記藤本ひとみの説明によると、「マリー」というのは「かわいい娘」というような意味であり、(日本名の「○○子」の「子」と同じような意味らしい)それだけでは名前としての意味をなさないのだそうだ。
“かわいい娘”アントワネットということになるのだろう。
したがって普通は二番目の名前で呼ぶそうだ。
そういえば、書物でも必ず「マリー・アントワネット」もしくは「アントワネット」と書いてある。
HPの説明では「マリー」と書かれていたが、この点でも今までのアントワネット像と差別化を図ろうとしたのかもしれない、とは曲解か…。
最後に、いつも言うことだが、その国特有の歴史や文化が主題の作品はその国の言語で観たい。
これだけでアントワネット像を語るには無理があるが、友人のような親しみやすいアントワネットとして観られる。
コミカルに描かれたヴェルサイユの宮廷生活もいいスパイスになり、それなりに楽しめる作品である。
パステルピンク。
「日本の瀧」というDVDを見た。
3、4年くらい前に買って、一度も見ずにずっと放っておいたものなのだが、なんとなく見たくなった。
タイトルの通り、日本各地の滝を紹介するもので、旅行気分も楽しめてなかなかよかった。
こういうのを見ると、知らないものがたくさんあるんだな~と思う。
最後に紹介された高千穂渓谷の真名井の滝は、さすがラストを飾るだけあってよかった。
真っ直ぐに切り立った渓谷と蛇行する川、深い森、そこに差し込む少しの日の光の具合も相まって神秘的・幻想的な雰囲気だった。
実は価格が安かったので、品質にはそれほど期待していなかったのだけど、全然問題なかった。
多分、自然の風景のシリーズみたいになっていると思うので、また何か買ってみようかな~…100円ショップで(笑)
(↑315円だった)
サックスブルー。
休み中、Nさんに借りた「パイレーツ・オブ・カリビアン」を見た。
なんであんなに人気があるんだろうと思っていたが、見てみたらおもしろくて納得した。
ネイビーブルー。
●主題歌が山下達郎のクリスマスソング
●主演が斉藤由貴と山田邦子
●脚本が野島伸司
●バブル全盛期のトレンディードラマっぽい
実はこれ、20年近く前に最初にTVで放映された時、何気なく見たんですよね。
それがとても印象に残っていて、今日思いがけず見られて嬉しいというかなんというか…。
ストーリー自体はもろにこの頃の軽いトレンディードラマなのだけど、脚本がいいのか演出がいいのか、この手のものが苦手だった当時でも楽しく、見終わったあとになんともいえない余韻が残るものだった。
ただ、しつこいけどストーリー自体は私にはつまらなかったが…。
だってさぁ~、この頃、世間はバブルだったけど私は個人的にバブルではなかったしトレンディーじゃなかったし、一人暮らしを始めたばかりの頃で、自分で今思い出してもよくあんな生活ができたものだと思うんだから…。
若いときは何もいらないというか、若気の至りの根拠のないエネルギーって凄いですね。
ただ、それで多分こういったものを楽しむ余裕がなかったのだと、今になってわかる。
そんなことを考えながら見ていて、改めてびっくりしたところがある。
横浜のみなとみらい地区の夜景のシーンがあったのだけど、なんと観覧車しかなかった!
ランドマークもインターコンチもクイーンズも、なぁ~~んにもなかったのだ!!
そういえばそうだよね、ここ20年ほどでいろいろできたんだった。
ターコイズ。
書店で著作権切れ映画シリーズを買っているのだが、今日4本目に「第三の男」を買った。
パッケージの裏にも「光の使い方が素晴らしい」と書いてあったので期待感が高まる。
ところで、以前同じように買って観てみた「カサブランカ」について。
感涙するほどではなかったが、考えてみれば、女性にとってはこの手の話は子どもの頃から少女漫画やらなにやらの定番ストーリーで、あまり新鮮味が感じられないという部分もあるかもしれない。
というかこの映画の方が古いのだから、上書きされた漫画の方を先に読んでいたわけだ。
内容についてだが、確かに言われてみれば、アメリカがいかに迫害された人達にとって自由で希望に満ちた国かというプロパガンダか?という点を差し引いたとしても、戦争中にこういった内容のものを作るというのは凄いことなのだろう。
この映画の主題は、自分では勝手に、主人公の「対象喪失」からの復活と見ている。
第三者から客観的に見れば、傷心しているのなら人と会わずに済む仕事をしながら自然と傷が癒えるのを待てばいいものを、わざわざ接客業をやって自分の不幸を見せ付けているように見えてしまうのだが、これは「対象喪失」における第二段階である「失った人物を思慕し、捜し求める」時期であると思われる。
接客業を選んだのも、失った女性に会えるかもしれないという希望・願望が心の底にあることを想像するに難くない。
そして3人の出会いによって第三段階の「断念・絶望」を経て、一気に第四段階の「対象からの離脱・自由・自立」に進むであろうことを予感させる。
2人を送り出したことでカタルシスを得たのだろうか。
おそらく、今後は次第に自然な情動を取り戻して行くのだろう。
もう一点、私が目を引いたのはラズロの人柄である。
地下活動をしているにも関わらず刹那的ではなく狂信的でもない地に足の着いたバランスの良い性格で、精神的にも周囲に対する姿勢・態度も終始紳士的で安定している。
私としてはラズロの方が魅力を感じるのだが、人柄という意味においてこの時期の主人公とラズロを比較するのは公平ではないと思われる。
まだ1回しか観ていないが、観るたびごとに新しい発見があるだろうと予感させる作品である。
シルバーグレー。
しつこく映画館の話いきますw
私にとっては革命的な心境の変化、「映画館で映画を(ロッキー・ザ・ファイナルを)観る」ということを目論んでから、最近の映画館事情についてリサーチ(爆)しようと思った。
もちろん第一目的はどうやったら並ばなくて済むかということです。
だが、リサーチも何も、驚いたことにかのワー○ー・某は並ばなくてもいいそうだということがすぐにわかった。
なぁ~んだ、そうだったのか。こういうカルチャーショックって嬉しいですね。
それで、席を選ぶのにどこにしたらいいのか迷っている。
なるべく自分の前を人が通らないところがいいなぁ~~。
赤。
今日、夜ゆっくりDVDを観ようと思っていたのだけど、待ちきれなくて昼間「グランド・ホテル」を観てしまった。
「グランド・ホテル」に宿泊している人々の人間模様を描いているのだけど、人間の喜怒哀楽やホテルの役割って昔も今も変わらないんですね。
何十年も前に作られた映画だけど、現代でも全く違和感なく受け入れられる話だと思った。
もう一つのDVD「カサブランカ」はどうしようかなぁ~…。
一日に2つ観るとあとでこんがらかったりするので、少し間を空けたいな。
ところで、5日に書いた「ドラリオン」のチケット、手に入れちゃったんだもんね♪
楽しみだな~。本当は2人で行きたかったけど、休みの予定がわからないので
仕方がない。
瑠璃。