マリー・アントニオの日記へようこそ…今日の気分を、好きな薔薇の花の色にたとえて日記に綴っています。現実には存在しない色もありますがそこはご愛嬌?
| Admin | Write | Comment |
カレンダー
12 2026/01 02
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
プロフィール
HN:
マリー・アントニオ
性別:
非公開
自己紹介:
生年月日:1967年
★詳しくはコチラ
★日常、趣味、その他について感じたことをとりとめもなく綴っています。
★上記HPも興味があったら是非見てください。イラスト、ショートショート、エッセイ等を載せています。
最新CM
[11/19 マリー・アントニオ]
[11/18 DD]
[11/18 DD]
[11/18 DD]
[11/17 マリー・アントニオ]
[11/17 あっちゃん]
[07/27 マリー・アントニオ]
[07/27 あっちゃん]
[03/23 マリー・アントニオ]
[03/23 あっちゃん]
おまけ
アーカイブ
バーコード
ブログ内検索
フリーエリア
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

昼頃、買い物に行く為に駅前をボーッと歩いていたら、道路に妙なものが落ちていた。
遠くからはゴミに見えたのだが、近づくにつれてどうもハトらしいということがわかった。
車に轢かれた死骸かな~かわいそうだけど見たくないな~と思っていたら、なんと生きていた。

幸い外傷は見当たらなかったが、左足を骨折したのか指がグーの状態で、左側車線の中央にペッタリ座りこんだまま動かなかった。
だったら、こんなところに置き去りにするわけに行かないよね。
今、私のミッションはこのハトを救うことである。救出作戦開始。

1.ハトの方にゆっくり近づいて行き、かがんでなるべくハトの目線の高さに近づくようにして、秒速1cmくらいのスピードで両手を下の方からハトに近づけた。
クチバシでつっつかれたらイヤだな~と思ったが、ハトは抵抗する力もないようで、無事に抱き上げられた。

2.抱き上げたハトの体勢を整える。腹部をこちらに向けて、頭を上にして落ちないように力の入れ加減に気をつける。

3.この地域に長く住んでいるが、動物病院は歩いて10分ほどの1軒しか思い当たらない。とりあえずそこへGO!

4.ハトはじっとおとなしくしているが、進行方向が見えないのが不安なのか、絶えず首を後ろに回しては戻してを繰り返している。落ち着かせるために時々頭を撫でる。
歩いているうちに、そういえば今日開院しているのかな?と疑問がわいた。
その他、医者に「便宜上名前をつけてください」と言われたらどうしよう、そうだハトだからピカソでいいよね、とか、妄想が始まる。
振動を与えないようにゆっくり歩いているので思ったより時間がかかっているかもしれない。
動物にしては体温が低いような気がするので少し心配。

5.最後の信号が赤信号でしばらく立ち止まる。ここを渡ればあと数十メートルの距離。
ここで思わぬ出来事が!
突然ハトが動き出し、少し力を緩めると飛び立って行った。
なんだ飛べるんじゃん!

6.すぐ上の電線に止まったのでしばらく観察。
ちゃんと両足でつかんでいるようなのでそのまま引き返すことにした。

7.結論:おそらく、車にはねられそうになってビックリし、ショックで動けなくなってしまった。更にその横を何台もの車が通り過ぎるのでますます動けなくなった。しかしケガもなく医者に行くまでもないことだった…と思う。

今回、私は1つの命を救うという自分のミッションを果たした。
野生生物の生態に手出しをすることになってしまったが、放っておいたら失われる可能性が高い命を目の前にして、自分の気持ちにしたがって今できることをやったことは正しかったと思っている(キリッ
…なんてね(笑)
多分、あの場にいたら誰でも同じことをすると思うので、遅かれ早かれあのハトは助かっていたと思う。

鳩羽色。

PR
3月18日の日記で、ヒーリングに塗り絵を薦めた手前、自分でやってみた。

子ども用の塗り絵を探していたら、ロココ時代から現代までのファッションの歴史の塗り絵があった。
女の子の好きそうなドレスがたくさんあって、しかもどれもどこかで見たような…。
コレは世界の王室・皇室の肖像画を拝借しているではないですか(笑)

nikki-antoinette2.jpgまず、ロココの見開き2ページには、右側にポンパドゥール夫人、そして左側にはマリー・アントワネット。
アントワネットは、この肖像画をモチーフにしていた。
明るく淡い色がアントワネットに似合いますね。

ちなみに、このドレスは横幅は広いが、前後の幅は薄い。
アントワネットの時代になってからドレスはどんどん横に広がりそのために扉を横向きに通るようになり、頭はどんどん高く結って派手な飾りをつけるようになったので、馬車の天井の高さもそれに合わせて高くなったそうだ。

頭の上に乗せるアイテムは軍艦、鳥かご(鳥入り)、植木鉢(生花入り)etc.…。
植木鉢には、頭の上で水をやります。

つい横道にそれてしまった(笑)

nikki-nurie.jpg私の好みで塗ったところ、こんなことになってしまいました。
笑笑笑
これは~~…。

巷で目にするアントワネットの肖像画では、赤やダークグリーンのドレスを着ているものもあるが、これはきっと着たくないでしょう(笑)

そして、日記では「無心で自由に」と言っておきながら、何が何でもグラデーションをつけなければ気がすまないクセは如何ともしがたい。

そういえば、現代の礼服が黒がベースなのは、アントワネットが自分のドレスが目立つように、召使いのドレスを黒に定めたのが始まりだという話を思い出した。

ジェードグリーン。

nikki-sakura5.jpg今年も何事もないかのように桜が咲いた。
自然は無言で力強いですね。

パールホワイト。






スーパーのお菓子売り場で、小学校低学年くらいの男の子がアヤシイ踊りをしていた。
約5秒後、昨日ニュースで見たカズダンスのつもりだと気がついた。

久しぶりに和んだ。
未曾有の大災害から早くも1週間が経った。
あまりにもすさまじく、言葉にならない。
亡くなられた方々に、心からご冥福をお祈りしたい。

さてそろそろ私も、チラチラとストレス性と思われる体調の変化が自覚できる。
ケータイの画面が波打って見えたり、耳鳴りがしたり、
常に揺れているような気がしたり、
昨年夏から何をやっても治らなくて真剣に山崎さん(マイミクにさせていただいている元新日選手)の治療院に行こうかと思っていた肩の痛みが消えたり(緊張で感覚が麻痺している?)。

それでも、日常的にやっている自己催眠と瞑想が性に合っているらしく、かなり助かっていて、多少気持ちに余裕がある。
それで今回、自分の趣味を通してのストレス軽減を考えてみた。

大抵の人は、視覚、聴覚、運動感覚のうちどれか1つが他より優れていると言われている。
このうち、視覚関係、そのうち「描くこと」からのアプローチをしてみます。
あくまで個人的な見解なので、効果の程はわかりません。



10年ほど前からか、大人用の塗り絵が書店等に並ぶようになったが、塗り絵にはヒーリングの効果がある。
なにかで読んだことだが、高度成長時代の猛烈サラリーマンが退職後、精神科(当時はメンタルヘルスについての科はなかった)の治療で塗り絵を行ったところ、今まで抑圧していた感情が爆発し、号泣してしまったそうだ。

大人用の塗り絵は好きな人にとってはいいと思うが、有名画家の絵を見本通りに塗るようなものはそこで制約が生じてしまい、無心に自由に塗ってストレスを発散するという目的には高度に思える。
かえって子ども用の塗り絵の方がいいかもしれない。
色は自由に、対象の色にとらわれず、好きな色を好きなように塗るのが好ましい。

塗り絵の他には、例えば漫画。もし塗ってもよければ…。
それから、新聞の4コマ漫画やイラスト、記事の白抜き文字。
カレンダーや手帳の過ぎた月のマス。クロスワードパズルのマス。

もし塗るものがなければ、好きな絵や写真の上にラップやビニール袋を置き、マジックでアウトラインを引いたあと、そのラップを白い紙に貼れば簡易塗り絵になる。ただしマジックやアクリル絵の具しか使えないが…。

塗ることはしなくても、色鉛筆やクレヨンのカラフルな色を見ているだけでも良し。
日常の趣味やストレス発散と同じで、楽しくなること、気分が良い方向に向くことは自分の心が必要としていることだと思う。

被災地の方を心配する側の我々は、体調に気をつけて落ち着いて過ごしましょう。

ベージュ。

少し前から(覚えていないけど多分2週間以内)、ボン・ジョヴィのある曲が頭の中をまわって止まらない。
その曲というのは、「オールウェイズ」のアコースティックバージョン。

いつものパターンだと、こんなに極端に頭から離れないというのはなにか理由があるに違いないのだが、全く思い当たる節がない。
こういうのって気になるんですよね。

この曲が入っているアルバムは全曲アコースティックのアレンジで、どの曲も素晴らしいのだが、なぜオールウェイズ??

このアルバムをカラコ(カラーコーディネーター)2級の勉強をしていた時にいつもかけていたのだが、その関係なのか、曲や歌詞の問題か、自分の好みで通常バージョンの方が浮上してきた連動か、ジョンの声やビジュアルの関係か…。

わからなくても別にいいのだけど、まずは欲求を満たすことが第一と思ってヒマをみては聴いている♪

琥珀色。

一点だけ気になったのが、なぜ他人の言ったことをそのまま鵜呑みにしてしまうのかということ。
知恵袋の回答が間違っているという可能性は考えなかったのだろうか。恐ろしい。

似たようなことは今までに何度も自分の周囲でもあったが、この年代の子ということなら2~3年前に通っていた自動車教習所でのこと。

どこの教習所もそうかもしれないが、一部の指導員が前近代的で、教習生の中には相当頭にきたのか「殺してやる」「訴える」と物騒なことを言う子もいた。

ある日、ロビーでの待ち時間に、顔見知りになった大学生(おそらく)数人と話す機会があったのだが、やはりそんな感じの話になっていった。
さんざん怒りの言葉を聞いたあと、自分も感想(というか不満)を話したのだが、それは主に以下のような内容。

・(指導員は)どうも戦前の徒弟制度と勘違いしていて、人格ごと自分の支配下にあると思っているようだ。
・「教える」という仕事に対する適性について第三者機関でチェックを受けた方がよさそうな人もいる。

それって誰?○○とか○○とかそうだよね?と言われ

・誰とは言えないが、自分のキャパを超えた状況になると非常に感情的になり、相手を罵倒して権威の保身に走るタイプと見受けられる人は何人かいる(キャパを超えた状況というのは、つまり私がヘタすぎなのと想定外の質問が多かったからなのだが)。

※ちなみに上記の指導員には路上教習時、「なぜ怒鳴るのですか?」「怒鳴らなければ物を言えないのですか?」「怒鳴ることでどのような効果が期待できるのですか?」「その効果は誰の利益になるのですか?」「それはどのような実績に基づいているのですか?」「教習所でまず一番に利益を受けるべき人は誰だと思いますか?」「質問に答えてください。指導員の義務です。」と問い続けていたら、泣いてしまった…。
不本意だが一応謝り、「あなたが一生懸命やっていることはわかっていますよ。」と言っておいてその後は勝手に走った。この話は指導員の名誉のために彼らには話していない。

・突然なんの脈絡もない単語で怒鳴られても、こう言ってはなんだが脳に欠陥でもあるのかと思うだけ。
・「病的な感情表現」「相手を罵倒」「自己保身」の3点セットが揃っているのだからコーチング研修とアサーショントレーニングは受けた方がいい。
・時代にそぐわない人権意識は、信じられないことだが何十年もブラッシュアップを行っていないと思われる→職務怠慢と言わざるをえない。
・一般の会社でも、ヒステリーを情熱的だと勘違いしている人や、怒鳴らなければ物を言えない世代はもう現場にはいなくなってきている頃だろう。
・パワーバランスの関係で教習生はものを言い辛いだけであって、口に出して言わないからといって心の中も同じとは限らない。
……
と、時間が有り余っていたのと、次々と聞かれるので、自分でも大人気ないと思ったがかなり言いたいことを言った。

その日はそれで終わったのだが、その数日後。

ロビーにいて、聞こえてくる話をなにげなしに聞いていたら、なんと先日私が言ったことをそっくりそのまま話している子がいる(後ろを向いていたので誰かはわからない)。
多分、あの時の子の一人なのだろうが、それが見事な(?)記憶力というか、ほぼ100パーセント近くそっくりそのまま話していた。

流れとしては「この前、年増の傲慢女がこう言ってたけど自分はこう思う」とか「この部分は同感」とかになるのかと思っていたが、出典(??)を出さずにそれを自分の主張として話しているのには驚いた。
死角の位置にいた私には気づかなかったようなので、興味深く聞いていたのだが、こういうのって怖くないんだろうか。

人の主張をそっくりそのまま自分の主張にすりかえて恥ずかしくないのか?
もし細かく突っ込まれたらどう返答するのか?
(「なぜ」を5回繰り返して掘り下げていくと、本当に理解していないことは答えられなくなるという)
記憶力はあれだけ素晴らしいのに、あの主体性のなさ。不気味だ。

この教習所、最後にアンケート・意見・感想を書くようになっていたのだけど、この子たちもちゃんと書いてくれたかな。
もし書いてくれたのなら、文言を少しアレンジしてくれたよね。原典は私なんだから(笑)

いや、真面目な話、最悪「~と傲慢女が言ってました」でも書かないよりは書いた方がはるかにマシなんですよね。

パールグレー。

<他の観客の反応>

後ろにいた、原作を知らないジャニーズのファンだと思われる女子高生2~3人の反応が非常に新鮮だった。
どのジャンルにも熱狂的なファンが存在する。
おそらくジャニーズのアイドルをけなされたら無条件で激怒するのと同じように、原作のファンも不用意に刺激してはいけないと理解してくれているようだった。

それでも、パンチが当たってゆがんだ顔のスローモーションや、丹下ジムの内観で小さく噴き出す。
知らない人にとってはココは笑いどころなのかと、不思議な気分だった。

そして終わった瞬間、「つまらなかった」「泣いた?」「泣かない」と言い合っていたが、すみません私は泣いた(力石の死のシーンで)。
おそらく、彼女達の年頃は「泣いたら負けだと思ってる」。
主役のアイドルを見られて満足だったようだ。

その後、同じ人かどうかわからないが、化粧室でも女子高生2人組に会った。
私の年代からいって原作のファンに違いないと思ったのか話を不自然にやめ、しばしの沈黙のあと突然バイトの話に変わった。
遠慮しなくていいからもう少し聞きたいんだけど…。その場で聞いてみればよかった。

映画に限らず、こういう場合直接聞いてみることもあるのに、なぜこの日に限ってそうしなかったんだろうと考えてみると、自分がどっぷり余韻に浸っていたのだった。

だが、何日か経って改めて考えてみると、もし原作を知らなかったとしたらやはりこれほど面白くは感じなかっただろうと思えてきた。
現在のドラマは構成や脚本、演出が凝っていて、映画のようなスケールの1時間ものも存在する。
それを見慣れた若者には、起承転結がわかりやすく、原作8巻分(+α)もの話を2時間にまとめたこの作品は、それほど面白く感じなかったかもしれない。

自分はどのような視点から観ていたのかというと、あくまで原作ありきで、どれほど原作に忠実か、ということに尽きた。
自分がスクリーンの中の世界に入り、原作の場面がオーバーラップしているような、デジャヴにも似た不思議な感覚だった。

固定観念だったとは思うが、原作の比較対象として観てこれだけ満足できたということは、この作品のターゲットはまず第一に原作ファンなのだということに確信を持った。
原作のオーバーラップを楽しみ感動したいという期待に答えてくれた。
こんな映画化なら他の作品でも観てみたいものだ。

(おわり)

ボルドー。

<丹下段平役・香川照之>

「あしたのジョー」主要登場人物を絵に描くとすると、一番難しいのは誰か。
答えは丹下段平。
一見簡単そうに見えると思うが、このクセのある骨格を描くのは難儀である。

デフォルメされたものを別の要素で再現するのは難しい。
原作での段平はビジュアル、性格、人生背景、全てにおいて激しくデフォルメされている為、到底3次元での再現は不可能に思えた。
それがなんと、香川は完璧になりきっている。心底驚いた。
おそらく、段平役が少しでもイメージと違ったら、物語全体が壊れていただろう。

ジョーにとって段平はボクシング界の大先輩である。
右も左もわからないジョーに1から教え、なにかにつけて反抗的なジョーもボクシングの練習については段平の言うことを素直に聞いている。

実生活上のうらぶれぶりや、難のある性格をものともしない信頼感。
それは段平がジョーのために確固たる居場所を作ったからに他ならない。

生まれて初めて「帰る」という場所を得たジョー。
それはもはや、ボクシングをやるという条件付きではない。
「ここ」から飛び立って行けるのは、今いる地点が明確だからだ。
「泪橋を逆に渡る」という言葉に眼を輝かせたジョーは、自分が飛び立つための居場所を得たことを知った。

段平はジョーにとって保護者であり、マネージャーであり、コーチであり、人生の先輩であり、恩人である。
ビジュアルイメージの完璧な再現に加え、主人公に対してこの多様な属性を持った人物である段平を演じる香川の底力が、この作品の根底でゆるぎない核を作っている。
その姿は、役者というのは全身全霊を投じ、現時点での全知全能を打ち込んで役と一体化するのだという無言の説得力を全身から放っている。

香川は芸能界きってのボクシング通だそうで、その知識と経験と深い洞察がこの作品に多大な貢献をしたことは想像に難くない。

(つづく)

バーントアンバー。

<力石徹役・伊勢谷友介>

※ネタバレ注意










衝撃が走った、対ジョー戦の際の計量時のボディ。
写真でも見たり、体脂肪率3パーセントと聞いたりしていたが、百聞は一見にしかず。
人間の体が生きたまま、こんなことになるものかと、今までの世界の常識が崩れるような錯覚に陥った。

ガウンを脱ぎ、ゆっくりと計量器の方に振り返る。
そして、おそらく筋力の衰えからやや猫背になり、腕をダランと下げてユラユラと計量器に歩いていく。
幽霊そのものの姿に、スクリーンの中のみならず、観客席の空気も凍りつくのがわかる。
このシーンが異常な世界に引き込まれる分岐点であり、クライマックスの力石の死へと続く。

力石の減量については、原作連載終了後およそ10年経ってから作画のちばてつやが著書で明かしたことで広く知られている。

原作者の高森朝雄(梶原一騎)からもらった原稿の描写では、初めてジョーと出会うシーンの力石は非常にスケールの大きな存在に感じられた。
それでバンタム級をはるかに超える大きな姿に描いてしまったことが、後の減量につながり、ドラマを盛り上げた。

したがって、力石役は身体も人としてもジョーよりはるかに大きく、しかも肉体は極限まで絞らなければならない。これは物語に絶対に外せない要素である。

又、これも広く知られているが、連載当時、力石の死が掲載された号の発売翌日、編集部に山のような弔電が届いたり、実際に力石の葬儀も行われたそうだ。
この当時からのファンは、力石の扱いに対して非常に厳しい眼を向けているに違いない。

積み上げられた時間と共に強固になる不可侵性。
力石役は、この伝説というプレッシャーも背負わなければならない。

ここまでの過酷な条件が課せられる力石役は、やはり本職の俳優でなければ務まらないだろう。
この作品の企画を知った当初、「力石役の人は気の毒だなぁ」と思ったものだ。
どんなモチベーション、メンタリティを以ってすれば、この役を引き受ける心境になれるのだろうか。今もって不思議でならない。

ジョーにとって力石との試合は、著書「あしたのジョー心理学概論」によると、一歩大人になる為のイニシエーションだった。
思春期の少年がぶち当たる父親殺しの壁。
実質的な父親がいないジョーには、力石が精神的な父親の役割をしている。

では、力石にとってジョーはなんだったのか。
収容所内で、まだ「坊や」の印象の残るジョー、前後見境なく暴れまわるジョーに対し、力石が「この世界の大人」として制裁したのが最初の出会いだった。

力石に反撃していったジョーのパンチは、段平に習っていたジャブだけが当たった。
当たるはずのない素人のジャブが当たり、さては心得があるのかと思いきや、アッパーは素人並みだった。
この矛盾する意外性が心の奥にずっと残っていたのかもしれない。
その意味では、力石はジョーに恋していたともいえる(もちろん象徴的な意味で)。

娑婆に出てからも、ジョーを叱咤激励したり、静かに諭す場面がある。
それは、初対面で見せたような強権的な大人の行動ではなく、相手の身を心配する恋人の心境のように見える。
時に挑発的な笑顔を見せるが、それは恋する相手に対するような、真っ直ぐな燃えるような眼である。
その相手に身を削り全力を出し尽くして満足だっただろう。
同時に、ジョーのイニシエーションに散っていく姿は、精神的な父親の役割を見事に果たしたともいえる。

力石の終始一貫した余裕や、ややキザな性格が、伊勢谷の顔の向きや表情、眼の動きで余すところなく表現される。
何にも増して、力石の一番の特徴であるストイックさが、抑えた演技から底光りするようににじみ出ている。

減量、厳しいファンの眼という難題を克服し、力石をこれほどまでに魅力的な人物として成功させた伊勢谷の、表現者としての実力、姿勢は最大級の賛辞に値する。

(つづく)

ウルトラマリン。

<矢吹ジョー役・山下智久>

もともと、ジャニーズのアイドルが主役を演じるということで話題になった作品だが、素人目にも俳優と俳優以外の演技には違いを感じる。

正直、山下は滑舌が良いとは言い難く、何を言っているのかわからない場面も多々あった。
だが、これが怪我の功名となってジョーの設定のリアリティに一役買った。

滑舌の悪さ、発音の不明瞭さの原因として連想することの1つが顎の未発達。
孤児の上に放浪していたジョーには、顎の発達に必要な、きちんとした食事や喋ることの訓練を受ける機会がなかったはず。

その粗野な喋り方から飛び出す、少ないセンテンスで構成されたセリフ。
身に着けている衣類や所作と相まって、ジョーの不運で不幸な生い立ちを浮かび上がらせるに十分な効果を上げている。

しかし、それにも増して山下は存在として素晴らしかった。
撮影のために作り上げたボディは文句なく感嘆に値する。

この映画の企画を知った当初、原作のイメージを壊されたくないという思いから、あまりいい気分がしなかった。
しかし、しばらくしてジョー役・山下と力石役・伊勢谷の鍛錬の末のボディを見た時の驚きは半端ではなかった。

そして、そこまでするのならやってもいいよ、と上から目線だが、ファンとしてはそう思えるようになったことの意義は大きい。

そして何より、役に対する思い入れの結果か、演技力が及ばない分を力技と熱意と勢いで乗り切ってしまった。

画家の故・平野遼の「画家になるのには才能も技術もいらない。必要なのは情熱と感動だ」(ウロ覚え)という言葉を思い出す。

若竹色。

<葉子の出自の大胆な変更>

この作品を通して一番驚いたのが、葉子の出自を変更したこと。

子どもの頃に原作で読んだ時、葉子はナゼかジョーに関わろうと一生懸命だが、その性格については、財閥という環境が感情を表に現すことを良しとしないのかと思っていた。
しかし、大人になってから読み返した葉子は、まるでサイコパスではないかと思うほど、薄気味悪いくらいに人間味に欠ける。

原作前半、つまり力石の死までのこの不気味な特質のハイライトは、減量に耐え切れなくなった力石に白湯を渡したシーン。
名シーンとされているが、普通の感覚を持った女性なら、あんな風に前面に出て行ったら、単なるナルシストや不純な動機の人間ならいざ知らず、力石のようなタイプは決定的に追い詰めてしまうくらいのことは想像に難くないはずだ。

そして暴走はとどまるところを知らず、滝川修平の使い捨て~一度はドランカーの疑惑を持ったジョーに、理由はともあれわざわざハリマオ戦を組んだところで頂点を迎える。

葉子があそこまでジョーに執着した理由について、原作で葉子自らが最後の最後、どうにもならなくなって思わず告白した通り、ジョーへの愛からだという解釈が原作に忠実な基本的なところだと思われる。

しかし、金の力に物をいわせて選手を呼び寄せては踏み台・使い捨てにし、罪悪感や良心の呵責を感じず(力石の死では感じているようだが)、愛する相手をムチ打って破滅へと追い立てる女性が、果たして正常な神経の持ち主だろうか。
あの異常とも言える破壊的な執着の仕方はサイコパス疑惑とした方がしっくりくる。

それが、今回の作品ではこのありえない出自の変更によって全てが変わり、物語の深みが増し、作品の空気、トーンまでも変った。

葉子は血の通った人間であるとして描かれ、出自のコンプレックスからジョーの存在と生き方を無視できずに執着し、原作で再三出てくる試合会場から逃げ出す意味不明なシーン(おそらく女性は残酷シーンに弱いという幻想)までも、葉子の内面的成長に絡めて意義深く生まれ変わった。

等身大の、実在の人物かと見まごうほどの存在感をもって、主要人物の一人として遜色なく観客に生きる意味を問いかける。
更に、この出自の変更によって、力石の収監理由と葉子の力石に対する愛情にも無理なく感情移入できるようになった。

まるで、1個のドミノを倒して次々と倒れていき、無地の面に模様が現れるのを上から見ているようだ。
絶対的と思い込んでいた、ただ1つの盲点を裏返しただけで、これほどの波及効果があるとは驚嘆せざるを得ない。
よくこんなアイディアを思いついたものだ。

葉子役の香里奈は、モデル出身でいくつかTVドラマに出ているという。
昨年、大友康平見たさに「フリーター、家を買う」を観たが、その中での建設現場のバリキャリの印象を重ねて見てしまった。

葉子としてはもう少し屈折した暗い雰囲気と傲慢なお嬢様の迫力が欲しいところだが、才色兼備という設定には合っている。
昭和テイストの衣装や周囲の役者に助けられ、そこそこ良かったように思う。

(つづく)

りんどう色。

アニメ「あしたのジョー」を初めて見たのは2才の時だった。
偶然にも第一話の放送で、ジョーが例の浮浪者の姿で、風が吹く中無言でひたすら歩いている寂しげな映像は強烈に印象に残っている。

だが、このなんともいえないもの悲しい映像は母親にも衝撃を与えたらしく、その場面を最後に見ることを禁じられた。
そのため、後に再放送を見るまで「あしたのジョー」とは浮浪者の話だと勘違いしていた。

昭和54~55年にかけての再放送で狂ったようにのめり込み、以降私の十代は「あしたのジョー」と「ベルサイユのばら」で育ったと言っても過言ではない。

今回の映画化では原作の世界観の扱いに対する危惧があったが、できあがった作品は素晴らしいものだった。

以降、テーマ別の感想へつづく。

--------------------------------------------

<原作の世界>

※ネタバレ注意








何より嬉しいのは、原作の世界を尊重してくれたこと。
オープニングテーマはなんとアニメ初代ジョーのオープニングをアレンジ。
その上、イントロ部分はそっくりそのまま流用。
このサプライズから無理なく物語に突入。

オープンセットでは、丹下ジム始めドヤ街が細々したところまで緻密に作り上げられている。
あまりの徹底振りに、原作の世界が現れたというより、自分が原作の中に入り込んだような錯覚に陥る。
ジョーのビジュアル面でも、普段着、トレーニングウェア、トランクス、全てをそのまま踏襲してくれた。
このどれか1つが違ってもジョーではなくなってしまうのだ。

そして、物語全体が実に無理なくまとめられている。
「あした」という言葉の意味、
「泪橋を逆に渡る」こと、
「真っ白に燃え尽きる」という心情の吐露(前段階の「真っ赤に燃え上がる」までの表現だったが、この時点ではここまでが妥当と納得)、
物語の中核となるこれらのメッセージは全て必要ポイントに散りばめられ、ジョーの世界観を築き上げていた。

又、別の意味で名シーンに数えられる西の「鼻からうどん」も、別の場所におまけとしてスライドながらしっかり入っている。
この作品を見る原作ファンの心情をいかに尊重してくれているかということを認識させられた。

ここまで作り上げてくれたことに対して尊敬の念すら覚える。

(つづく)

曙色。

映画「あしたのジョー」を見た!
感想を書いていたら収拾がつかなくなってしまったので、明日から何日かの連載になる予感♪

薔薇色。

友人と急に決まって行ってきた。
選曲はいつも同じようなものなので、今回は省略しちゃえ。
ピックアップとして1曲。
「たのしいひなまつり」を替え歌で歌った。
以下はその歌詞です。

♪あかりをつけましょ ばくだんに~
おはなをあげましょ どくのはな~
ごにんばやしが ふっとんで~
きょうはたのしい おそうしき~

おだいりさまと おひなさま~
ふたりならんで はかのなか~
およめにいらした ねえさまに~
よくにたかんじょの じばくれい~

1番は子どもの頃クラスで流行していた歌詞で、2番はその少しあとに調子に乗って作ったもの。
3番は作っていないのでここで終了。
替え歌は大真面目に歌う方がおもしろいですね。

撫子色。

≪ Back   Next ≫

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9]

Copyright c 本日の薔薇の色。。All Rights Reserved.
Powered by NinjaBlog / Material By Mako's / Template by カキゴオリ☆
忍者ブログ [PR]