生きているのが当たり前のような錯覚。
普通に生活していると、この錯覚が錯覚とは感じられないほどに麻痺している。
自己防衛の知恵なのか、恐怖からの逃避なのか。
生きていると、誰しも何度か死にたいと思ったことはあると思う。
だが、本当に一線を越えるその瞬間になると、心底激しく後悔する。
どんな状態でも、たとえ半病人でも役立たずでも今は何の希望もなくても、ただ生きていたいと猛烈な激情が内側から突き上げる。
自分が死んでも誰にも知られず、明日の朝にはなにも変わらずに陽は昇り一日が始まり、人々はお構いなしに食べて働いて日は暮れる。
そして、しばし悲しみの対象になったあと、自分はいずれ忘れ去られる。
そう、恐怖の根幹は忘れ去られること。
取り返しのつかない失敗をしたという背筋の凍る感覚。
先週日曜日、11月9日に行われた友人の追悼ライブ。
友人が所属した3組のバンドが一堂に会し、渾身の演奏をした。
喪った友人を忘れずにいるのも、生きてさえいれば…と、そんな注釈をするまでもなく、強烈な印象をこの世に残した。
みんな、きっと忘れないと思うよ。
本日の気分は「レンガ色」。
内面の大問題について書きますとか言っておいてすっかり放置してしまった。
というのも、こういうのってやっぱりあまり人には言いたくないですよね。
ただ、今回はこういうことに慣れているつもりだったにも関わらず、非常に驚いたので、期間限定(多分3日間くらい)でお話します。
-------------------------------
以下削除しました。(12月22日)
ベージュ。
先日、ボン・ジョヴィが出ているということで「大人のロック」という雑誌を買った。
買う前に店頭で見てみたら、立ち読みで済みそうだったけど買ってしまった。
なんで最近、いつもサングラスをかけているのかなぁ~もったいない。
相変わらず、他のページは読んでもわからなかった。
ところで、付録に「名言カレンダー」というものがついていた。
12ヵ月分+今月の13枚分(13組のバンド)の写真と、そのバンドのメンバーの名言が書いてあるもの。
ボン・ジョヴィは6月で、リッチー・サンボラの言葉が載っていた。
この人に限らないけど、名言という割にはみんな普通のことを言っているんだな~と思った。
若しくはバンドについて知らないため意味がわからないもの。
それで思ったのだけど、今まで数十年見続けてきたプロレスの方が、むしろ演技性が強いというか芝居がかっているというか、そういう要素があるのでそれに慣れてしまって物足りなく思うのかもしれない。
ロッケンローラー(大友康平的発音)は「素」が大事なのかな~。
中高生の頃は、プロレスラーの芝居がかった名言に非常に感銘を受け、生徒手帳に書いていたりした(笑)
よく考えると、内容は普通に世間に受け入れられるものだし基本的にポジティブで単純明快な、若者にタメになることを言っているのだけど、表現が特殊だったんですね。
今思うと、その中でも特に特殊だったのがアントニオ猪木自伝のタイトル「君よ苦しめ、そして生きよ」。
「苦しみから逃げるな」とはよく言われるけど(最近はあまり言わないが)、積極的に(?)「苦しめ」というフレーズが逆に刺激的なんですね。
今考えれば、苦しむことと生きることを選択することの間には何の関連性もないわけだけど、このタイトルを見るとまるで苦しまなければ生きて行けないようにも取れる。
おそらく、それである一部のタイプの若者は「困難に挑戦する」とか「壁を越える」とかいう概念を触発され、自分の生存権に自信を持った部分もあったと思う。
同じ内容でも、この狂気じみた表現でなければ心に響かないタイプというのがいるんですよ(汗)
猪木さん自身はどういうつもりで言ったのか、自身の体験から自然に出た言葉かもしれないが、確実にこのタイプの人間の救いになっていた。
今はプロレスラーもプロレス界自体も当時より開かれたというか、大分一般社会との親和性が高くなり、プロレスラーのセリフも「愛してま~す!」に代表される、一般的なものが増えた。
大きい大会の最後には優勝者がどんなことを言うのかも楽しみの一つになっている。
名言を聞けること、好きな言葉が増えることは一種の幸せですね。
ベージュ。
イギリス皇太子夫妻が来日しているというのに、ほとんど話題になっていないような気がする。
最も、私もダイアナ妃が好きだったので現在の夫人にはあまりいい印象を持っていないが。
ダイアナ妃が亡くなったときの雑誌の追悼特集、ほとんど全て買った。
それまで、皇太子はいくら家庭の事情がどうであれ、絶対に離婚はしないものだと思っていたので、当時は非常に驚いたことを覚えている。
現在の夫人は「皇太子妃」という称号は使わず、ナントカ公爵夫人ですよね、確か。
「皇太子妃」というのは立場を表す言葉ではなく、称号なのだが、ああいう世界ではその称号が大事だったりする。
現在の立憲君主制よりもっと重みを持っていたであろう、帝政フランスでのこと。
ナポレオンがスペイン遠征中、とある寒村近くでクリスマスを迎えた。
ナポレオンでもクリスマスは暖かい家庭の雰囲気の中で迎えたかったのだろう、ある貧しい老婆(昔はこんな表現が使われていた)の家をフラリと訪ねた。
老婆の精一杯のもてなしに感動し、コーヒーを振舞ったところ、その初めて見るであろう黒い飲み物に対する無邪気な驚きはナポレオンを和ませた。
ナポレオンは、その老婆に感謝の印として、いくらだったかのお金と「皇妃」の称号を与えた。
……という話を書物で読んだことがある。
ダイアナが離婚した際、「プリンセス」の称号を要求したそうだが、この「プリンセス」は「いいところのお嬢さん」くらいのもので、王族に必ず付けられる「HRH(ハー・ロイヤル・ハイネス=殿下)」は要求しなかった。
ということは、それ以降どんな位の低い王族に対してもひざをかがめてお辞儀をしなければならないということ。
それまでは女王夫妻、皇太子に次いで高い立場だったのに。
それでも自分の道を進みたかった、ということなんだろうか。
離婚後初めて来日した時、雅子妃に対して、本当にひざをかがめて挨拶をしていたのが印象に残っている。
カミラ夫人は、チャールズが国王になっても「王妃」の称号は使わずに「国王夫人」と名乗るつもりだということだが、どうなるのかな。
ロイヤルブルー。
先日、4人ものノーベル賞受賞者が出たということで話題になったが、そのうちのある人についてちょっと驚くことがあった。
その人は、名前は忘れたが(申し訳ないが)クラゲの人。
そして驚いたというのはその息子さんについて。
息子さんはコンピューターウイルスだかハッカーを撃退するみたいな仕事で、非常に高度な技術を持っているということで、アメリカでは凄く有名な人だと紹介されていた。
その写真を見た時。
10年以上前に、新聞で一度見たことがあったことを思い出した。
よくある人物紹介のコラムだったのだが、まずその表情がとても印象的で、つられて記事も読んだ。
凄い人なんだな~と思ったものだが。
その顔が忘れられなくて、時々「あの時のコラムの人は…」と思い出したりしていた。
そして今回、クラゲの人の息子さんの写真を見た時、名前は忘れていたけどこの人だと確信した。
通常、私は残念なことに人の顔を覚えるのが得意ではない。
似顔絵を描くのにまったくもってやっかいな弱点である。
一度に大勢の人を紹介されることがある時なども非常に困っている。
以前、養老孟司が「唯脳論」について語るセミナーを聞いたことがあるのだが、その中で「日本人はなぜ欧米人に比べて人の顔や名前を覚えるのが苦手なのか」という話をしてくれた。
理由の一つは、欧米人はこの手のパーティーが多く慣れている、というもの。
もう一つの理由が印象深かったのだが、文字の読み方からくる脳のキャパシティの関係ではないかと言っていた。
日本語の漢字は、一つの字でいろいろな読み方をする。
対して、他のどの国の言葉でも、一つの字に対しては一つの読み方しか当てられていない(「A」は「エー」としか読まない)。
それで、日本人が使っている分のキャパシティは、機会が多い顔を覚えることに使われているのではということだった。
そして、顔に対して名前という関係が、文字に対する読み方のような関係なのではないかとも言っていた。
言われてみれば、あ~なるほど~! と目からウロコのような話だった。
ちなみに、今は海外でも日本のマンガが人気らしいが、昔から日本人がマンガが好きなのは、同じ原理で絵に対しての噴出しは文字に対するルビの役割と同じなので、文字の読み方を読み分ける日本人には楽な作業なのではないかということだった。
本題に戻るが、その日本人の中でも私はどうも人と比べて顔を覚えるのが苦手なのだが、10年前のあの写真があんなに印象に残っていたのは、とにかく表情がとてもよかったことが挙げられる。
なんというか、素直な自信に満ちた剣のない表情で、みとれてしまって何時間でも見ていたいくらいだった。
加えて仕事内容が、なんかPC関連の凄い技術を持っていて、それを誰も知らないところで人のために役立てていて、実は知らない間に危機を回避してくれていた、というのが映画みたいで感動してしまった。
今回久しぶりに見た写真でも、以前と同じように素直な自信に満ちた剣のない表情だった。
こういう部分で変わっていないのは非常に感慨深い。
この人をモデルにした映画もあるそうなので、機会があったら見てみたい。
鴇色。
偶然、広島の原爆展みたいなのを見る機会があった。
体験談、写真、比較的最近かと思われる絵などがあった。
戦争体験のテーマはよくTVでやっているし、高校の修学旅行では広島の原爆記念館にも行ったけど、何度見ても慣れませんね。まだ絵が原画ではなかったからよかった。
そんなことを言っていられるのも自分が恵まれているからだとは思うが。多分、原画も一度見た方がいいような気がする。
主催は地元の平和団体で、昔やはりココが主催した731部隊の医師だった方の講演を公民館に聴きに行ったことを思い出した。
その前には、駅で赤紙の複製をもらったことがある。
その赤紙を探したらあったのでupしようと思ったけど、個人の名前が書いてあったし気が進まないのでやめた。
白。