ちょっと気になったんだけど、例の秋葉原の無差別殺傷事件のこと。
事件が起こって比較的早い段階で両親が謝罪していましたよね。
報道によると両親は躾、教育両面で厳しかったということだけど、あの謝罪の場面で父親が手を後ろで組んでいたんですよね。ありえない。
事件そのものについてはおそらくいろいろな背景があるのだろうけど、気持ちに余裕がなくなると、どんどん自分の中で世界観を狭くしてしまい、人の言うことも聞けなくなってしまうんですよね。
どこかで誰かが、必ず話を聞いてくれると思ってほしいです。ジャッジをせずに全て受け止めてくれる人が、必ずいるハズ。
ライトグレー。
昔みたいに、FAXをつけろとか、病院内で使えるように電話ボックスをつけろとか、コタツや扇風機をつけろとか、急に雨が降った時のために非常用の靴とか簡易メイクセットとか防犯用の不気味な着ぐるみとか言わないから、つけて欲しい機能がある。
それは、「元に戻す」機能。
PCではなくてはならない機能の一つだが、ケータイにもほしい。
どこかでやり方を聞いたような気がするが、標準的な使いやすい方法でできないかな~。
自分が送ったメールを間違えて消してしまうのはまだいいとしても、いただいたメールやアドレス帳や書きかけの長い文章を消してしまうことがけっこうあるんですよ。
メールを書いている途中なら「あーっ! …まぁいいか。」と、大して気に留めていないし、アドレス帳は誰かに聞けばわかるからというのもあるけど、ボーッとしながら操作していることが多いものだから、今まで何度大事なデータを消してしまったかわからない。
だいたいね、「はい」か「いいえ」か、どちらの色が実行される方か未だに覚えられないんですよ。
「元に戻す」機能ってそんなに難しいのかな。
昔、ウィンドウズが出る前のPCって、この機能がなかったんですよね。
慣れていない頃は、文書一つ作るのにも間違えてしまうと直すのが大変だった。
ウィンドウズが出た時は、他の機能にしてもまるで魔法のようだと思ったものだ。
最近のケータイは薄くて軽くなっていますね。
当分買い換える予定はないけど、次に買うとしたらワンセグはついていなくてもいいので、カメラの性能がいいものがほしいな~。
蒲公英色。
速読ができたらいいな~と思うことってありませんか?
急いで読まなければならない本があったり、資料を探すのに時間がかかったので読む時間がなくなってしまったり、まとまった時間がとれなかったり。
昔、ニュースかなにかで速読を取り上げていて、文庫本を15分くらいで読んだ人が内容を質問されて、ちゃんと答えていたけど。
細かいところまで覚えているんだろうか。
やり方を見てみると、理屈としてはわかるけど難しそうですよね?
そのニュースで見た感想としては、頭が疲れそうだと思ってしまった。
又、よく行く書店では、本を入れてくれる袋の中に速聴のチラシが入っていることがある。
それで昔、お試しセットみたいな本を買って、速聴の短いテープを聴いたことがある。
普通の話(そのテープは速聴についての解説)をだんだん速くしていって、最高4倍速で聴くものだった。
あれはただ聴いているだけでいいからか、チョット楽しかった。
言語って音楽みたいなものですもんね~。
昔、クラシックしか聴いていなかった頃、手持ちのバロックのテープに飽きると友人が貸してくれたドイツ語会話のテープをBGM代わりに聴いていた。
意味がわからない方がより音楽っぽくてイイんですよ♪ まぁ英語もわからないけど…(汗)
ところで、早い回転で聴くということは、もしかしたらDVDを早送りで見たり、CDもそうやって聴いてみればいいということになるのかな?!
ボン・ジョヴィのバラードを高速回転で?
それとも、ハウンドドッグのロックを更に高速で??
「子犬のワルツ」ならぬ「猟犬のワルツ」になってしまいますよ(笑)
速読、速聴って私が物心ついた頃にはもうあったような気がするけど、周囲の人でやってみたという人はそういえばいない。
誰かいたら感想を聞いてみたい。
インディゴ。
ニコ動で池田理代子原作のアニメ「おにいさまへ・・・」を見終わった。
この作品は、原作よりもアニメの方が感動する。
各キャラクターの性格が丁寧に描かれ、演出、オリジナルのエピソード、ストーリーの運び方等、最終回まで引き込まれた。
最も、原作は1970年代でアニメ化は1990年頃、しかもアニメは出崎・杉野の黄金コンビなので、原作を超えた、と言われるのもうなずける。
池田理代子については、実は作品は好きだが本人はあまり好きではない。
とはいっても、私は「ベルばら」を読んで絵を描き始めたのだし、「女帝エカテリーナ」も「エロイカ」(←ナポレオンの話)も楽しく読ませてもらい、その感動は残っている。
そんなわけで、この日記でもたびたび見解を引用させてもらってけっこうお世話になっている。
彼女の作品は、あの粘着質で選民意識の強い性格と超自我(特徴としては、常に「完璧」という幻想にとらわれ、かえって自己矛盾を起こしている)が昇華されたものなのだろうということが、年代順に読んでいるとよくわかる。
それはクラシック界とロシア革命にからめて様々な立場の人間の内面的描写を描き分け、それぞれの価値観からくる幸・不幸を極限まで追求し、最後に主人公を破滅させてしまった「オルフェウスの窓」に最も顕著現れていると思う。
彼女の作品はドロドロ恋愛絵巻、又は社会的に虐げられている者(特に女性)の、時に救いようのない人生を描く、という印象が強いと思うが、初期の頃から「自尊心」をそれとなくテーマに掲げ、それをエッセンスというにはあまりにもあからさまなセリフを言わせたりする作品も多く見られる。
漫画家として初期の作品「ベルばら」も、初めは編集部に「少女漫画の読者に歴史がわかるわけがない」と反対されたが約束どおりヒットさせ、社会現象にまでさせた。
編集部の差別的ともとれる言葉がよほど悔しかったらしく、連載中もジェンダーの時代特有の差別的な中傷が数多くあったそうだ。
その後「オルフェウスの窓」で日本漫画家協会賞の優秀賞をもらい公的に認められると、「少女漫画」というジャンルから卒業した形をとった。
それ以降は自ら「劇画家」と名乗り、より社会に受け入れられやすい形で歴史上の人物を描いている。
紫綬褒章をも賜り、文化人として満足だろう。
だが当時の差別は根強く心の底に残っているらしく、今でも折に触れては話の中に出てくる。
「漫画家」時代を卒業して初期の頃に描いた作品が現在、物議をかもしているが、私はその作品は当時2巻まで読んだがおもしろく感じなかったので捨ててしまった。
それまでは彼女の作品はどんなものでもおもしろく感じていたのに、その感覚が持てないことが非常に不思議だった。
そして、よりにもよって捨てるなんて、それまでだったら考えられなかったことなので、その奇妙な気分はよく覚えている。
ロクに読んでいないため何ともいえないのだが、それまでいつも作品を読むと感じていたものが作家特有の感覚・感性に対するシンパシーなのだとしたら、件の作品がおもしろく感じられなかったこともうなずける。
そして、現在行われている検証にも真実味を感じる。
藤色。
また出た。
今までも何度も新しい見解として出て、胃ガンだ(あるいは肺ガンだ)、いや毒殺だ、いややっぱり胃ガンだ、いや最新の調査では毒殺だと二転三転し、素人にはなにが一番新しい解釈だかわけわからなくなっている。
それで、今度は毒殺否定説が出た。
それだけ感心を集める事件なのだろうけど、DNA鑑定なども出始めた時よりかなり精度が上がっていると聞いたが、最終的な結論は出ないのだろうか。
ところで、いかに落ちぶれたとはいえ、ナポレオンを毒殺するような勇気があるかな…とはやっぱり素人考えか。
ナポレオンが最後に住んでいたところは「セント・ヘレナ島」という、アフリカ大陸からかなり離れた孤島で、監視されながら生きていた。
要はそこで何らかの原因で亡くなったのだが、実は島流しに遭ったのはこれで二度目で、一度目は「エルバ島」というところへ流され、島の統治権も持たされていてずっとマシな暮らしだった。
そのエルバ島から脱出し、フランス皇帝に返り咲いて俗に言う「100日天下」になるのだが、そのエルバ島への島流しの時も、あまりにも今までの功績が偉大だったので恐れ多くて命までは取れないという感じだったと思う。
そして二度目は、もう二度と脱出できないようなところへ追いやったのだが、「あの」ナポレオンなら生かしておいたら何度でもゾンビ(失礼)のようによみがえってくるという恐怖から命を奪ってしまってもおかしくないか…。
でも今回の説では毒殺否定。
ナポレオンについては、特に軍事的才能について語られることが多い。
実際、元々の素質も大きいが(陸軍士官学校時代から特出していた)、当時既に「孫子」を読んでいてそれを実践し、後に神聖ローマ帝国皇帝(だったかな?)は、「ナポレオンより先に孫子を読んでいたら彼に勝てた」と言ったらしい。
だが、ナポレオンの真の功績は、フランス革命後の混乱した国家をその政治的手腕で集約し、近代国家に生まれ変わらせたことだ、とはナポレオンを題材にした劇画を描いた池田理代子の説だが。
事実、現在のフランスは「ナポレオン法典」が基盤になっている。
ナポレオンは、陸軍士官学校で軍事の他も概ね良い成績を収めた。
だが、20歳の時に突然自分は実は何も知らないのだと思い、その日から無我夢中で勉強し始めた。
皇帝に就いたのは40歳(←後日訂正)34歳の時。
猛烈に勉強し、猛烈に仕事をし、そうして一人特出しすぎて、周囲の人間が無能に見え、次第に傲慢さが現れてきたそうだ。
周囲がついて行けなかったのか、ナポレオン一人が将来を見通しすぎて突っ走ってしまったのか。
理解できないということは恐怖につながる。
ナポレオンはもはや恐怖の対象だったのだろう。
それで、ついて行くこともできず、命を奪うこともできず、遠く見えないところへ追いやってしまった。
だが、ナポレオンのその原動力は、ただフランスを平和にしたいという思いだった。
恐怖の対象として見られると、その純粋な思いまで奪われてしまう。
それは仕方のないことなのだろうか。
ナポレオンの遺体は、死後約20年経ってからやっとフランスへ返された。
現在は遺言通り、フランスの地に眠っている。
ワインレッド。
最近やっと表にきちんとした問題として出てきたかという問題。
「名ばかり管理職」と呼ばれているんでしたっけ?
個人的な感覚で言うと遅すぎですよね。
今のところ、表に出てきているのは幸運にも良い方向へ行っている人だが、昔はそれがきちんとした問題として扱ってもらえるとは発想できないほど問題だった。
今まで何度か転職をしているけど、社内の人間で過労死した人は1人や2人ではない。
そこまで行かなくても、職場や自分の周囲にも危ない人はたくさんいた。
身体を壊して休職・退職した人や、精神を蝕まれている人。
入院して「絶対安静」と言われているのに病室に仕事を持ち込んでやらなければならない人。
「休む」とは言えないのであとは会社で倒れるしかないという友人のダンナさん。
本当に職場で倒れた友人。
一ヵ月監禁状態で家に帰れなかったという昔の同僚。
安定剤を飲みながら仕事をしている人。
電車の中で意識を失う人。
這って出社してきたけどタイムカードを押した瞬間にグロッキーになり結局帰る人。
挙げたらキリがない。
それで思い出すのが、新卒で入った職場にいた人で、いつも昼食時に見かけた人。
某大手電気メーカーだったのだが、昼食は定食などを食べられるメインの食堂、喫茶コーナー、麺類コーナーがあった。
私はいつも同僚2人と喫茶コーナーで食べていたのだが、その人はその喫茶コーナーでいつも一人で食べていた。
40代くらいに見えたが、もしかしたらもっと若かったのかもしれない。
失礼ながら見るからに「生ける屍」という表現がぴったりな、周囲のことに何も反応を示さない人だった。
いつも同じテーブルの同じ席に座り、いつも同じメニューを食べ、アイスコーヒーをストローを使わずに飲むのはいいとして、ホットのコーヒーをストローを使って飲んだりしていた。
同僚がどこかから聞いてきたのだが、その人はプログラムを作っていた人ということだった。
そしてその仕事は神経だか何だかへの負担が大きいので、2年を超えて同じことをやらせてはいけないのだが、会社側はその期限を超えてやらせていたのだそうだ。
そして、言い方は悪いが人間として壊れてしまい、家族に抗議されて、もう何もやらずに引き続き職場に在籍だけしているのだということだった。
その事業場は4000~5000人ほどいる大きいところだったが、全く関係のない我々の部署の人間にも伝わるほどの事件だったのだろう。
もちろんそれは、プログラマーという専門性の高い特殊な職種という事情はある。
だが社会人になった初期の頃にそんな場面に出会ってしまったため、「無理をすると自分でも想像できない事態になってしまうかも」と思ったことは事実である。
だから、周囲の事情を聞くにつけ、常々「無理はしないでほしい」と思う。
結局、自分の体調は自分で管理するしかない。
そして、無理が高じてしまうと逆に自分では気づきにくくなるが、それは既に感覚が麻痺しているのかもしれない。
身近な人が気づいてあげられればいいのだが。
藤色。
家の中で床にあるものにつまずくことが多くなり、寒いから身体が動かなくなっているのかと思ったが、よく考えたら2~3年前からこういうことがあった。
もしかして、おそらく、多分、いやきっと、これが老化というものなのか…(滝汗)
なんか、妙に悔しいんですよね。つまずいた時は、その前に戻ってやり直している。
それで思い出したことがある、というか聞いた時からずっと頭の片隅にあったことなのだが。
それは中学3年生の時。
担任の先生が野球が好きで、HRの時間などによく話してくれた。
私は特に野球に興味があるわけではなかったので、「アンチ」の意味だとか、当時話題になったと思われるE川選手(当時)の移籍の裏話をしていたとか(内容は覚えていない)、そのくらいしか覚えていない。
ただ一つ今でも覚えていることがある。
それは、王選手(当時)が引退を決心をした時のこと。
その内容はこんなものだった。
それまでは、自分が打った感触でホームランになると確信できたのだが、ある時期からホームランになると思ったものが入らなかった。
それで体力の衰えを実感し、引退を決めた、という内容だった。
確かそれが40歳くらいの時だと言っていたような気がする。まさに今の私の年齢ではないですか。
中3当時の自分にはとても信じられなかったが、本当に自分が確信したより足が上がらなくなってきたりするんですね。
もちろん、一流スポーツ選手とは違うとは思うけど、逆に一流選手でもそうなんだ~と、妙な安心感があることも事実です。
オレンジ。
そういえば先月、バトンをいただいていたのだった。
すぐにできなくて、しばらく経った頃やろうと思ったら年末で、今やったら殺されると思い伸び伸びになってしまっていた。
ということで、スタート。
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□■ルール■□
タイトルは『マイミクさん、整理します。』で。
見た人はコメントを残して自分もやること。
地雷バトンです!!
HPを始めて早い時期にできた友人のあひるさんからバトンを頂きました。
やりたい方だけどうぞ。
■お住まいは?
日本
■血液型は何ですか?
AB
■チャームポイントはどこですか?
チャームポイントかどうかわからないが、爪にはこだわっている。
■ペット遍歴を教えて下さい
子どもの頃の話だが、覚えているものは白文鳥、桜文鳥、セキセイインコ(それぞれ複数)
寿命を全うしたのは拾った桜文鳥1羽だけで他は悲惨な末路をたどった。
一番の悲運は白文鳥で、弟が2才の時に怖がって座布団をかぶせ、その上に座って圧死させてしまった。
■スキなものを答えて☆
●季節
晩秋
●場所
喫茶店・カフェ
●映画
「生きる」、「不滅の恋」、スタローンもの、等
次点:「羊達の沈黙」「蜘蛛女」「鬼畜」「三銃士」、等
●本
マルクス・アウレリウス「自省録」、宮本輝
本とか映画って、どの辺まで挙げればいいのか迷いますね。
●漫画
「あしたのジョー」「ベルサイユのばら」「北斗の拳」
●キャラクター
強いて言えば2002年頃に流行った「小屋犬」。
←小屋犬のレターセットの封筒。シール&消しゴムつき。
生まれつき屋根を持っているとは! 一生住む場所に困らないですね!
なんて羨ましいのでしょう。
●テレビ番組
ワールドプロレスリング
●色
黒、ボルドー~ワインレッド、ラベンダー
●言葉
万物流転、徒手空拳
■嫌いなものを答えて☆
●季節
夏。25歳までは好きだったがナゼか突然いろいろな好き嫌いが反対になった。
●場所
人ごみ、行列
●映画
ドロドロ人間関係(映画でまで見たくない)
現実の人間の方がよほど整合性がなく予測不可能。
●本
同上
●漫画
同上
●キャラクター
キャラクターにはあまり興味はないが、強いていえばスヌーピー。
まぁ、海に小屋犬とスヌーピーがおぼれていたら両方助けるが…。
●テレビ番組
強いて言えばバラエティー
●色
高明度+低彩度の色は似合わないので自然と遠のくようになる
●言葉
人格攻撃・人格否定発言
■苦手なものは?
計算
■行ってみたい国は?
フランス(イル・ド・フランス限定)、ロシア、ドイツ、ノルウェー、等
■あなたの座右の銘を教えて下さい。
万物流転
■カラオケはスキですか?
好き。
■今1番欲しいものは?
壊しても惜しくない練習用のMT車(免許とりたて(汗))。
5万円くらいでないだろうか。
■プチ野望,してみたい事はありますか?
大型二輪で県内のとあるツーリングイベントに参加する…死ぬまでに。
(↑もしかしてハーレーでなければダメだったかも…)
■有名人や動物に似てると言われた事ありますか?
無回答
■常に側にあるもの,手放せないものはありますか?
側にではなく心の中にあるもの→サムシング・グレート(笑わば笑えw)
■今1番の心配事は?
タイピングの正誤率が落ちてきた。
■明日の予定は?
横浜駅へ薪能を見に行こうかどうしようか迷っている。
確か100席弱しかないし、薪能は屋外で薪の明かりでやるので今の季節は寒い。
■1番モテたなと思う時期は?
25歳頃
■恋人を選ぶポイントは?
好きかどうか
■ここぞという時の香水や服装があれば☆
「ここぞ」というワケではないがシャネルのアリュール。
シャワーに入る前につけると上がった時の残り香がちょうどいい。
■告白された事がありますか?
あり
■わざとデートに遅れて行った事がありますか?
なし
■初恋はいつ?
高校1年
■今までスキになった人の数は?
パートナーなら両手で足りる
■今まで告白した人の数は?
90パーくらい
■今までスキになった人に一番多い血液型は?
ほぼAとB(同じくらい)
■今までスキになった人の共通点を3つ。
いい人。
次の彼女に「悪いけどあとよろしくね。」と言ったことがある。
■ツボ3つ。
バラ、プロレス、レアのサーロインステーキ+粗塩
■恋人選び,見た目と性格重視する割合は?
1:9
■刺激と安定,恋人に求める割合は?
刺激5:安定5
■スキな人が出来ました。自分からいっちゃう?待つ?
自分が言いたい時に言う。
■同棲したい?したくない?
している
以上
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バトンも回が重なると同じような質問があるので、新しいことを書こうという感じになるが、今日のは割とシンプルな質問が多かったので回答もシンプルになった。
薔薇色。
研修につづきセミナーの話でも。
研修と違って、セミナーって楽でいいですね(笑)
ロープレや突然の指名やディスカッションがなく、大抵の場合ただ座って聴いていればいいんだもんね。
ただし、やはりそれは目的が違うからで、まずその世界の全体像をつかむとか、自分の業務ではないけど知っておいた方がいいとかいう場合は、セミナーを聴いてから研修に入った方がいいかもしれない。
研修になると実践が主だから、セミナーで「知っている」となったことを次に「できる」とする目的があるような気がする。
知っていることと、できることは違うんですよね。
頭でわかっていても、実際には技術不足・自分の能力の限界(泣)でできないことは多い。
自分にとってきつい研修を受けると、どうしてできないのかと泣きたくなることも珍しくない。
自分の場合、それまでの社会経験で身についてしまった欠点があり、それはもはやアイデンティティーの一部をなしていたので、それを直すということは自分の一部を捨てるということになり、非常に苦痛を感じた。
それでも、それができなければ仕事にならないのでなんとか人並みにはなったが…。
あの時の研修がなかったら、一生あの欠点に自分でも気づかなかっただろうと思う。
セミナーはそういう緊張感なしにある程度楽な気持ちで聞けるところや、いろいろな分野の話が個人でも気軽に申し込める点もいいかもしれない。
ただ、特に個人で行く場合には主催者をよく確認した方がいいと思う。
バブル期あたりから数年くらいだったか、「心の時代」などというフレーズのもと、自己啓発セミナーが流行ったように記憶している。
当時の友人がそういった関係のセミナーに行っていたのだが、話を聞いて「それって騙されているんじゃ?」と思ったことがある。
○十万円の受講料を払ったということなのだが、セミナーの最後には
「明るく変われます! 前向きな自分になれます! 今までの私よサヨウナラ」
みたいな、性格が変わるということを言われたらしい。
その後自然と付き合いがなくなってしまったので、その人が明るく変わったかどうか定かではない。
共通の友人の話では、特に変わった様子は聞かないが…。
「心」という抽象的なテーマだからか、効果が思わしくないという不満を訴える人は「気の持ちよう」とか「やる気の問題」というようなことを言われたらしい。
だいたい、「明るくない」性格を否定している時点で「心」を扱うテーマとしては知識不足で失格ですよ。
現代社会が明るく外向的な方がより生きていきやすいというだけで、絶対的な価値観ではない。
もし、より生きていきやすいように、ということを目的としているのなら、変えさせるのではなく自己受容の重要性を説くはずだ。
自己啓発をしようという向上心の弱みにつけこんで、こういった粗悪な内容・対応のところもかなりあると聞いた。
それらもその後、某新興宗教団体が起こした前代未聞の事件が社会を震撼させたのと同時にあまり見なくなったような気がする。
当時は、霊とかオカルトとかいった目に見えないものに対する社会の寛大な姿勢がこういった人たちを増長させた、という雰囲気だった。
この事件を機に、数年間霊・オカルト関係はTVから一斉に姿を消した。
今はネットで主催者の情報も簡単に見られるので当時よりは便利になったが、結局は情報を読み解く能力が求められる。
「なんとなく気が進まない」という漠然とした勘のようなものも、けっこう侮れないかもしれない。
そういえば「勘」って、経験に基づいた統計のことだと聞いたことがある。
モスグリーン。
出版社の草思社が倒産したと知って、なにか草思社の本を持っていたと思って探し始めたが、なかなか見つけられなかった。
別に持っていたからどうということはないのだけど、こういうの気になってダメなんですよ。
探せるところを全て探したけどなくて、ネットで草思社の本を検索してみたら、途中でおもしろいのを見つけた。
「形を味わう人、色を聴く人」という本なのだけど、内容は知らないがとあることを連想した。
昔の同僚で、文字を見ると色が見えるという人がいた。
ひらがな一文字でも、漢字一文字でも、「この字は○○色」と見えるらしい。
おもしろがって自分の名前とかプロレスラーの名前とか、単語とかいろいろ見てもらった。
ちなみに私は白、ピンク、ライトブルー…(あとは忘れた)らしい。
本人と全然違うじゃん! さわやかじゃん! すみません。
長州力の場合は、紺、ボルドーと、あとの一文字は忘れた。
長州は言われてみればこんな雰囲気かな~。
こっちはおもしろがってしつこく聞いていたが、本人は「朝から茶色の原稿はイヤだな~」とか、いちいち見えるのでけっこう大変らしい。
その人が言うには、大学時代の教授の話では世の中にこういうタイプの人がいるということは確からしく、研究対象として来て欲しいと言われたそうだ。
そして、「フルートの色はパステルカラー」とか、音を聴くと色が見える人がいると聞いたのもこの時だった。
もしかしたら前出の本のタイトルはこのことなのかもしれない。
特殊な能力も活かせる場があればいいけど、気苦労が多そうですね。
ライトブルー。
インタビューの中で、よく「無人島に一つだけ持って行くなら何を?」という質問がありますよね。
今取っている新聞の芸能欄で、時々俳優やタレントが出ているのを見かける。
この質問自体はいいのだが、それに対する回答で
「彼女」とか「親友」とか「うちのシロ(仮名)」とか、他者を挙げる人が意外と多い。
実に不思議だ。というか、怒りさえ覚える。
その相手は、そのことを了承しているのでしょうか。
理由は圧倒的に「話し相手がほしい」とか「寂しい」とか自分の都合なのだが、もし逆のシチュエーションになったら、親友がそう決めたからと自分の生活を放り出して一緒に無人島へ行くのでしょうか。
自分がこの世の基準だという錯覚を持ちやすい十代後半の人ならともかく(「思考の全能」と言い、この年代はこのくらいの気持ちがあった方が健全と言われている。)、三十代、四十代の人までも言っている。
自分は基準でもなんでもなく、ただの一例で、人には人の人格があり、自分は自分が大事なのと同じで相手も自分が大事で、人は自分の思い通りになるものではないということを、四十年間知らずに生きてきたのかなぁ~? 恐ろしい。
百歩ゆずって、親友が了承したと仮定して言っているのだとしたら、それはそれで他者の意思決定について勝手に決めているという点で許しがたい。
唯一納得できるのは、実際に親友に聞いてOKをもらった場合であるが、まぁその場合は交換条件ですね。
一方的な約束はよくないので、親友が無人島へ行く時には自分も行くのです。
エメラルドグリーン。
マイ箸って、確か17~18年前にも流行りましたよね。
当時の友人が、同僚数人と食事だか飲みにだか行った時に、おもむろにバッグからマイ箸を取り出した人がいたらしい。
そして聞いてもいないのに、この割り箸○膳で○○がいくつできるんですよ!こんな小さいことだけど地球環境に少しでも貢献したい、と語りだした。
今だったらそういうことも軽く受け流すんだろうけど、若かった当時はその他メンバーと共に非常に居心地の悪い思いをしたそうだ。
割り箸は確か、ラワン材という材木としては役に立たないものを使っている、いわばそれ自体がリサイクル品だと聞いたことがあるが、今また流行っているということは事情が変わったのだろうか?
確かその当時も、そういう認識が広まって廃れたのだと記憶しているが。
それより気になるのは、使ったあとのマイ箸はどうしているんだろうということなのだが、なんとその場で、店のおしぼりでふいているらしい。
なんという勇気でしょう。同じ感覚の行為であるテーブルで人前でメイク直しをすることと共に、その度胸には敬意を表したい。
そして、昼と夜に外食する場合は、一度使っておしぼりでサッとふいただけのマイ箸をまた人前に出すわけはないので、二膳持ち歩くんですね。
そして、家に帰ったらまた地球の水と洗剤を使って洗うんですよね?もちろん洗剤は地球のことを考えて、界面活性剤の入っていないものですよね?
う~ん、こまめだ…。
モスグリーン。
新聞で、12月に宮本輝の作品がTVドラマ化されるということを知った。
確か「彗星物語」だったと思う。
共産時代のハンガリーからホームステイの人が来て、異文化交流をする、みたいな話。
実はこの作品、まだ読んだことはない。
作品を買う時の基準というか、基本的には最近のものから昔にさかのぼっていくのだけど、タイトルが気に入ったものやあらすじを読んで興味を持ったものを優先する時もある。
この作品はそんな中で後回しになっていた。
又、関係ないけど最近は設定が似ているものが多い。
大昔に宮本輝について何度か書いたけど、当時は日記のタイトルが本文とは関係ないというか漫才みたいで、探すのに苦労した。
それで時間を喰ってしまったのでそのままコピペすると。
コピペすると。
↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
M本作品は人の心の描写が凄くよくて、別れがあろうが死があろうが歳を取っていようがどんな障害があろうが、未来に希望を感じさせる結末なんだよ。
それも、ラッキーや不幸に対するあだ討ち根性の結果ではなく、自分の経験した不幸を肥やしにして、地に足の着いた幸せを自力で勝ち取るだろうなっていう感じなんです。
又は言い方をかえれば、幸福も不幸も全て納得して享受するというか。
まぁ幸福も不幸も本来自分の心の中にあるものだから、気持ちの持ちようだって言ってしまえばそれまでだけど、それを努力をしないで不幸になっていく言い訳にするのではなく、幸福も不幸も結局は同じもので、同じ価値があると感じさせるんです。
単なる形式主義のモラリズムではなく、根底にある深い哀しみに裏打ちされた美がにじみ出ているいるというのは、どの作品にも共通かな。
今まで読んだ中では、新潮文庫の「錦繍」が一番好きで、M本作品を読むようになったキッカケの作品です。
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というもの。
この「錦繍(きんしゅう)」は確か中国語にも訳されたと思う。
それと、当HPを作った当初、宮本さんのHPをリンクしようと思ったら「連絡必須」と書いてあったので連絡し、作品の簡単な感想も書いた。
その時に「錦繍」を「金繍」と書いてしまい、送ってから気づいて次の日に謝罪のメールをした。遅いよ。
金赤。
なんでもできる人が先陣切って突っ込むのはもったいない。
一番後ろで構えていた方がいいのではないかな。
ただ、自分の強みを知った上でトレーニング的な意味で逆のことを経験してみるのも、幅が広がり結果的にはプラスになると思う。
なにかの心理学か精神分析の本で読んだことなのだが、
引きには強いが押しが弱いという会社員がいた。
彼はその弱点を強化しようとして、普段から押しの強い行動に出ることにした。
大変な努力をし、その効果はめざましく、すっかり押しの強いタイプになった。
ところが、その後その会社で大変な問題が起こった。
絶体絶命の危機的状況で、彼はなんと本来の引きの強さが出て、その状況を冷静に見極めた慎重な行動で、災難に巻き込まれずに済んで命拾いしたそうだ。
「押し」も「引き」も両方知っているために、ピンチの時に自分はどうしたら良いかを察知でき、本能的に本来の性質であり最も得意とする「引き」が出たのだろうということだった。
その時に先陣切って動いた人は、何か忘れたが大変なダメージを負ったそうだ。
それより、どうしてこの世にはなんでもできる人というのがいるのだろう。
金赤。