マリー・アントニオの日記へようこそ…今日の気分を、好きな薔薇の花の色にたとえて日記に綴っています。現実には存在しない色もありますがそこはご愛嬌?
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HN:
マリー・アントニオ
性別:
非公開
自己紹介:
生年月日:1967年
★詳しくはコチラ
★日常、趣味、その他について感じたことをとりとめもなく綴っています。
★上記HPも興味があったら是非見てください。イラスト、ショートショート、エッセイ等を載せています。
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友人に、毎日エッセイをUPする超人がいるのだけど、書こうと思っていた話が先を越されることがよくある。
それで勝手に悔しがっているワケだけど、そのおかげで26日に書いた「奇怪な言葉」というのを一つ思い出した。
それは…「kimonoドレス」っていう言葉。
コレ、どうなんでしょう??
TVショッピングで見た商品なのだけど、なんでも着付けのいらない、簡単な着物ということだった。そういえば紙のカタログでは見たことがあるが、実際に3分くらいで着ているのを見て確かにドレスのようだと思ったが…。
15年くらい前、とある着付け教室の広告に「…お花は華道、お茶は茶道、着物は『装道』」みたいなコピーがあって、これもなんかちょっと違うと思ったものだけど。
そのkimonoドレスというのは、半襟が着物の裏側にマジックテープでくっついていて、帯の後ろの太鼓も始めからできていて胴にまきつけるだけで、便利そうだけど非常用という感がぬぐえなかった。
昔、ブライダルコーディネーターの仕事をしていた友人がいて、ブライダルフェアがあるたびに呼んでくれていたので一度だけ行ったことがある。
そこでレンタルのドレスを4着着させてもらったのだけど、見た目の華やかさからは想像できない簡素な仕立てで驚いたものだが、それに似た印象を受けた。
多分、このkimonoドレスというのはちゃんとした着物とは別に、使い分けるための物なんだろう。
日本の民族衣装は明治天皇が洋装と定めたため、着物は民族衣装ではなく「伝統的な衣装」という表現をするそうだ。
いつだったか聞いた話で、シベリア鉄道のディナー(始発駅のウラジオストックから終点のモスクワまで7日かかる)で着物を着たら拍手喝采が起こったとか、ホテルやレストランで破格の扱いを受けるとかいう話がたくさんあるので、きっと着物というのは私が考える以上に格の高い衣装なんだろう。
今までの人生で成人式でしか着たことがないが(しかもレンタル)、正直、動きづらくて不便だったんだよね。
ただ、着慣れている人の動作は優雅でつい見とれるし、美しい柄にも目が行きますよね。
やっぱり、ここぞという時には自信を持って着られるのに越したことはないよねぇ~。

撫子色。
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 番組表を見たら、夜の某番組でまたもや「マリー・アントワネット」の特集があるようだ。
この人の特集はもう今までに何度あったかわからないけど、また新しい解釈が出たのかな。
もともと、日本で広く知られるようになったのは池田理代子の漫画がキッカケらしいのだが私もその中の一人なわけで。
彼女に常にまとわりつく伝説に、例の「パンがなければお菓子を食べれば…」というのがあるが、これも時代によって大分解釈が分かれるそうだ。アントワネットが処刑された直後は、彼女に対する評価はひどいものだったらしく、このセリフが彼女に対する悪意を呼び起こす呼び水のように使われていたらしい。
私が『ベルばら』→フランス革命への興味、とベルばらファンの定番の道を歩みいろいろな本を読むようになった頃には、このセリフの解釈は

①先王ルイ15世の娘の一人アデライードが言った言葉をすりかえた
②アントワネットの言う「お菓子」とは、彼女の好物「クグロフ(シンプルなケーキ)」のことで、「パンをくれ」と訴えた平民階級ではクグロフは主食の代わりにされていた。

その他あったと思うが、一番最近では②が有力だそうだ。つまり、「パンがない」という訴えが、「食べるものがない」という意味だとはわからなかったということだ。
今日の番組ではどのように解釈されるか興味深い。
でもね、外の世界を知ろうとしなかっただけで、もともとの性質は非常に純真だったと思われる。結果的にそれがアダになったんだろうけど。
飢えて宮廷になだれ込んで来た殺気立った民衆の訴えを受け入れ、「この宮廷にあるパンを全部あげなさい」と言ったそうだ。あくまでも優雅に、毅然として、慈悲深く。
そのかもし出される王妃としての威厳に民衆は畏怖を感じておとなしく帰ったそうだ。
『余ったものをくれてやる』というのではなく、身銭を切って痛みを分かち合うのは善意の基本ですね。←偉そうですね、歳末助け合いにも募金しないのに。
おそらく『ベルばら』世代は、アントワネットの人物像について、池田理代子の影響をかなり受けていると思われる。それはどんなものかというと…。

皇室という環境と持って生まれた性質から、ある面では無邪気で純真で明るく、人の心を捉えて離さない。
しかし時に軽薄で物事について深く考えるということをせず、小さな困難が起こるたびに現実から逃げていたが、自分の好む好まざるに関わらず怒涛のような外界からの激流に翻弄され、絶対王政という価値観を根底から覆される。
そして生死をかけた困難によって初めて自分が何者であるかということに目覚め、
思慮深く勇敢な人間に成長し、自己の運命を受け入れ、本来の、王妃としての役割を全うして絶命する、というドラマに感動するというものである。
処刑の日の、地下牢から階段を上がる場面の肖像画を見たことがある。
アントワネットが再評価されてからの肖像画らしく、それはまったくもって神々しく
描かれている。
横から見ている構図なのだが、左側に暗い地下牢、右側に光が差し込む階段。
後ろ手に縛られたアントワネットが、その光を受けて、毅然と顔をあげて階段を登るところである。
文字を左から右に書くヨーロッパでは、絵の構図の左右の向きも意味があるのだそうだ。
例えば、横向きの人物が右向きか左向きか、又遠近法で書かれた道は右上がりか右下がりか、等。
そういえば、ロシア皇室の誰だかの話で、馬上の人物像が右向きなので不吉だ、みたいなことを言っていたような気がする。右向きは異質なものなのだろうか。
そのせいもあって(計算に入れて?)このアントワネットの肖像画は現実離れして見えるのかもしれない。
ちなみに話は全く変わるけど、シュミが悪いと言われつつも私はスタローンものが好きなのだが、ロッキー4のドラゴについてもアントワネットと同じ意味でドラマ性を感じ、シリーズ中で一番好きである。
最新作の「ロッキー・バルボア」早く見たいなぁ~。


「王妃のお髪(ぐし)の色。」(←アントワネットの義弟=ルイ16世の弟がひとこと
このような軽口を言えば即座に宮廷中に流行した)

たびたび出てくる、ここの物件のオーナーのお母様が、数ヶ月前にゆっくり話をさせていただく機会があってから頻繁に野菜やら何やらをおすそ分けしてくれる。
なんでもご友人が家庭菜園をやっていて、いつも大量に分けてくれるので食べきれないのだそうだ。何回かお返しに行ったのだけど、いつも気にしなくていいと言ってくれる。
でもいつもいつも貰いっぱなしというわけにはいかないよね~。
というか、この方は人を呼んでお茶をするのが楽しみみたいで、お茶にも誘われる。
お返しをしに行くのに逆にお茶をごちそうになってしまうのね。
かなり高齢の方なのだけど、この世代の方の話ってけっこう面白い。

今までもバラ園や公園のベンチで座っていたりすると、いつの間にか高齢のオジサマ、オバサマが隣や向かいにいて、自分の人生を語りだし、2時間経っていたということも何度かあった。
それがもう、戦争の話から始まって基地、米軍、憲法9条、天皇、皇室関連、自分の若い頃の仕事の話、パートナーとの馴れ初め、嫁姑・孫関連、人の世の無情、相撲、野球、ペットの犬猫の話、現在の生活、病気、地域の昔話等、
けっこう話題が広くてあなどれませんよあーた。

琥珀。

 敬老の日の話題が出るような時期になって、2年以上前に亡くなった祖母のことをよく考えるようになった。

当時は自分の状態だけで精一杯で、自分ではできる限りのことをやったつもりでいたが、もしかしてもっとなにかしてあげられたのではないだろうかと思ったりする。

両祖父母の中でただ一人自分をかわいがってくれたのだが、亡くなった時もそれほど悲しまなかったのは、やっと不幸な人生から開放されたという思いがあったのだが、今思うとなんて傲慢な発想なんだろう。
そんなことを考えるくらいなら生きているうちにもっと喜ばせてあげればよかったのだよ。

おまけに霊とかあの世とかを信じていない私はお墓参りに行く意味を見出せないので、自分の心の中で懺悔をするのみである。

自分の心の中のサムシング・グレートなら信じている。

薄色。

昨日、文庫本のことが出てきたのでつづきを。

先々週だかその前だかの日曜日に、「五輪書」を読んだ。
最も、少ししか読めなかったのだが、5年ほど前に買ってそのままになっていたのをやっと読み始めた。

正直言うと、「孫子」を先に読んでいたからか、衝撃を受けたというほどでもなかった(「孫子」より劣るというワケではない)。
まぁ戦術について述べた「孫子」と武道の「五輪書」は違うと思うが…。

30歳頃この「孫子」を読んで、「風林火山」はもともとここからきた言葉だったのだということを始めて知った。
つまり、「軍隊はこう動け」と言っているワケだが、漢文を覚えていないので簡単に書くと

その疾きこと風の如く
その静(しずか)なること林の如く
侵略すること火の如く
動かざること山の如し

というものだと知って、その情景を思い描いて心の中で感嘆の声をあげたのだった。

ちなみに自分に関して言えば、「風」と「火」は弱いですねw

中国思想、特に今日は書かなかったが「老子」を読むと、いいものも悪いものも全て飲み込んでしまう懐の深さというか、器の大きさに癒される。

青磁色。

XXX

暑いですね。
もうすぐ8月15日ですね。
忘れてはならない終戦記念日ですが、私にとってはもう一つ、ナポレオンの誕生日というのもあります。

まぁ真夏に生まれたイメージの通り、生涯を通して熱く激しかった人ですが、それは女性に対しても同じことで。

最初の皇后ジョゼフィーヌに対して、結婚初期の行軍中に送ったラブレターなどは、手紙自体が燃え出してしまうのではないかと思うほど熱烈なもので、読んでいる方が恥ずかしくなるほどである。

「あなたにキスを送る」なんて序の口で、直接的な愛情表現は一歩間違えればソノ手の小説と言っても通りそうである。
それに加えて、この気持ちがいかに強固なものか、次の瞬間にはいつか相手が心変わりするのではと、一人で延々と悩ましげに書いたあげくとどめの言葉責め。

いやまったく、初めて読んだ高校生の頃はこの気持ちのふり幅の大きさと、この伝説的な人物のこの感受性に驚きましたね。
それ以来、ミステリアスと一言では言い表せない人物として心を捉えているんです~。

カーキ。

先日、お家騒動の件で横浜元町のキタムラについて触れたが、重大な表記ミスをしていた。
K2の社長はキタムラから飛び出した次男ではなく、長男の方だったのだ。
それに関連して、ついでに東京高裁で行われたキタムラの商標権の判例全文を読んだ。

つまりこういうことだ。

キタムラ/代表取締役:創業者の次男。Kマークの専有権を保有
K2/代表取締役:創業者の長男を経て現在その妻。キタムラからKマークの使用権の許諾を得ているK2がキタムラに無断でKマークを商標登録し、その事実を秘匿した。
キタムラは、営業譲渡契約に違反しているとして、K2にKマークの使用中止を提訴した。
<判決>キタムラの請求を棄却

それに対して、キタムラは不服として控訴したのが、今回の東京高裁。
ここでも結局、キタムラの主張は認められなかった。

簡単に言うと、裁判所の判断は、

K2がKマークの登録出願をしたことは重大な契約違反と認めるが、
K2がKマークの使用を営業の不可欠の前提として設立された会社であることは契約書の内容から見ても明らかであり、
K2がKマークを剥奪されれば存続が不可能になるほどの打撃を受ける。
だからよく話し合わずにそんなことしちゃダメよ、キタムラはそんなに行き詰まっているわけでもないでしょ。

ということらしい。

ただ、K2がサンリオにKマークの使用を許諾した、という主張もあったがこれは
キタムラの誤解で、
K2がサンリオにロイヤリティを支払ってキャラクターの使用許諾を得ているとのこと。

まぁでも、全て通して読むと、やったもの勝ちというか、疑わしきは罰せずというか、
そんな印象を受ける。

キタムラの主張が首尾一貫しているのに対し、K2の主張は、長々と言っている割には、無断で商標権を取得したことについては一言も触れていない。
K2は話し合いをするのに「時間的余裕を与えられなかった」と言っているが、使わせてもらっている方が全面的に都合をつけて出向くのが普通じゃないのかなぁ~?
そこまでしてKマークにこだわる理由はなんでしょう。

そもそも、どうしてK2が次男の会社だと思っていたかというと。
昔、K2とは何だか知らなかった時、店員さんに面と向かって「この『2』ってなんですか?」と聞いてしまい、その時の説明で、K2はキタムラの弟が立ち上げた会社ということだったんだから~。

とあるK2の店舗では店員が「どうぞご勝手にご覧ください」と連呼していたという話もあるし、そういうのを総合すると会社の体質がなんとなくわかるというか。
信用が大事な大手デパートのテナントに入っているのは必ずキタムラで、K2は見たことないというのも納得…。

それにしても、裁判の文書ってどうしてこう読みづらいんでしょう。箇条書きとか表にするとかしてくれないかな~(爆)

判例に関しては、デザインや広告の見地から見ると「東京高裁ってやさしいですね」と思ってしまう。
どんな事情があっても、盗作や無断使用をしたら、その後一生信用されないんですけど…。
ただ、自分がこういうことに厳しい仕事だったから判官びいきが入っていると、自分でも思うところはあるが…。

もし興味があったら、判例全文を読んでみてください。
「東京高裁 判例全文 キタムラ」で検索できます。
別の見方の人がいたら感想を聞きたいな~。

白旗。

対人関係は今さら言うまでもなく難しい。

新しいことやわからないことを知ろうとするのに、「人に教えてもらうのが苦手」
というタイプの人がいるが、わかるような気がする。

基本的に私は、物を調べるのには本を使う。
子どもの頃の原体験が関係しているのかもしれないが、わからないことを知ろうとするのに、親に聞いてもまずわからない。その上、年上の兄弟もいなかったし年上の友達もいなかった。
それで自然と本で調べるようになり、しかも納得の行くまでどこまででも調べられるので、無意識的に「本は裏切らない」と思うようになったのかもしれない。

ただ、そのせいか人に直接教えてもらうことに未だに慣れない。
どこで質問したらいいのか、どこまで聞いていいのかの目安がイマイチわからないし、わかったかわからないかも自分でわからないような気がする時がある。

だから「人に教えてもらうのが苦手」というのはわかるのだが、どうも違う意味で言っている人もいるようだ。
つまり、「恥ずかしい」と…。

 

直接教えてもらえる人に恵まれなかった者にしてみれば、なんてもったいないと思うんですよね~。


秘色(ひそく)。

自分では何も生み出さず何も失わず、
辛く苦しく格好悪いのはイヤだけど充実感は得たくて
人の借り物を自分の生き方のように錯覚する人。

オリンピックが始まると必ずこういうオンブオバケが沸いて出てくる。
そして誰かに話さずにはいられず、人の時間と脳の労力を搾取する。

ドロボー!!

バーントシェンナ。

20代の頃、マルクス・アウレリウスの「自省録」を読んでヘタレな自分を叱咤激励していた。

大人になると、しがらみや責任を伴いながら好きなことや意思を貫かなければならないのでパワーがいる。
 

他にも、ガンジー、ナポレオン、ボーヴォワール、ベートーヴェン等に感銘を受けた。
そういうパワーを持続させられるのが、尊敬すると同時に羨ましい。

 

「継続は力なり」とよく言うが、続けることが大事だっていうこと、わかるけど難しいよね~。
 

頭でわかっている(つもり)と実際にできることは違うわけで。
(↑言い訳ですか?)

 

灰桜。

「仕事が人をつくる」と、昔NHKの特集である職人の方が言っていた。

コミュニケーションに於いてとても細やかな対応をしてくれる人がいると、どんな生き方をしてきたんだろうと感心する。

ネット友達の看護師の方なのだが、この方と話すと冒頭の職人の方の言葉を思い出す。

相手の立場に敬意を払い、話に共感してくれ(同調ではなく)、決してジャッジをしない対応をしてくれると、それだけで幸せな気持ちになってしまう。

相手の言葉のみに反応するのではなく、本当に言いたい意味は何か、その行間を理解してくれて気持ちをすくいとってくれるような技術は、おそらく一朝一夕に身についたものではないのだろうけど、見習いたいですね。

ちなみに、そのあとで。

 

自分は何の努力もせず、やらなかったことを絶えず後悔するような日々を送り、人がステップアップするのを妬むような気持ちが隠そうとしてもあふれ出てしまう人と話してしまうと、まるで天国から地獄に突き落とされたような気分だ。


桜色。

新年早々こんなこと言うのもなんなのですが。

環境とか教育とか福祉とか、反論が許されないテーマになると俄然はりきり、口角泡をとばしてしゃべりまくる方…誰に向かって言っているんだろう?

その割には「社会」だの「政治」だの大義名分を持ち出して話を集約させてしまい、自己の解決を放棄しているのだから、説得力ないよ。

グレー。

なんだか、誘拐だの通り魔めいた殺人だの相変わらずですね。

8年ほど前だったか、強盗未遂に遭ったことがある。

土曜日、とあるセミナーの帰り。19:00頃駅から自宅へ向かう途中でショルダーバッグを盗られそうになった。

いつも後ろから近づいてくる足音には気をつけているのだけど、その時は近づいてきたと思ったら追い抜きざまにショルダーストラップをつかんで走って持って行かれそうになった。

あの風貌は絶対に基地の米兵だ。間違いない(と思う)。

とっさに大声でわめきちらし、相手とにらみ合いながらストラップを引っ張り返してしばらく私のバッグを奪い合った。

その時、救いの神が。

後ろから来たサラリーマン風の男性が「やめろ!」と叫んでくれて、その声で相手は去っていった。

その人のおかげで命拾いしたけど、あきれたな~。
私のバッグをまるで自分の物のように持ち去ろうとするんだから。

GW第1日目の土曜日だったから時期的にも狙われやすい日だったのかもしれない。

私のバッグを奪い合っている時、危険を感じたけど離すワケには行かなかったのね。
というのは、その日の帰り、家賃と生活費をまとめて引き出してバッグの中に持っていたから…。

今考えれば何とでもなるんだから身の危険の方を心配しろと思うけど、とっさの時ってどんな判断をするかわからないものですね~。

家に帰ってから、被害はなかったものの一応警察に報告だけして、パトロールを強化してくれと頼んでおこうと思い電話をしたら、結局現場検証と事情聴取になった。

ところで調書をとってもらっている時のことなんだけど。

強盗未遂にあった直後にコンビニに寄ったことにそんなに驚かなくても…まるで異常な行動とでもいわんばかりに何度も確認された。

だって買い物をしなければ夜食べるものがなかったんだもん。

セピア。

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