マリー・アントニオの日記へようこそ…今日の気分を、好きな薔薇の花の色にたとえて日記に綴っています。現実には存在しない色もありますがそこはご愛嬌?
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マリー・アントニオ
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自己紹介:
生年月日:1967年
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★日常、趣味、その他について感じたことをとりとめもなく綴っています。
★上記HPも興味があったら是非見てください。イラスト、ショートショート、エッセイ等を載せています。
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星野勘太郎さんが亡くなった。
ここ数年、昭和の名レスラーの訃報が続き、寂しい限りである。
肺炎だったということだが、ヤマハ・ブラザーズの盟友・小鉄さんが8月に亡くなり、気落ちしてしまったのだろうか?

小柄な体格にアフロヘア。明るいブルーのタイツに白いシューズ。
80年代前半、プロレスを見始めて間もない頃、何の知識もない段階での星野さんは、そのビジュアルと「カンタロウ」という風変わりな名前に加えて、独特のファイトが面白く映り、すぐに覚えられた選手だった。


「突貫小僧」と呼ばれ、すばやく動き回り、ボクシング仕込みのパンチの連打、空中殺法、気迫のこもった表情、掛け声。
そのスピードについて行けず、相手がキリキリ舞いする様子に湧く観客。

本人の気性とは裏腹に、星野さんの試合はいつもそのタイツの色と同じで明るかった。
星野さんは、当時の殺伐とした新日のリングの中で、まさに一服の清涼剤のような役割をしていたような気がする。

5月のラッシャーさん訃報の時にも書いたが、当時の新日はアントニオ猪木を頂点とした絶対的なヒエラルキーがあった。
「プロレスラーは黒のショートタイツとシューズだけで勝負するもの。余計な装飾はいらない」というのがストロングスタイルを標榜し、ストロングスタイル=黒とする猪木の持論だった。

そのため、当時の新日では黒のシューズ&タイツが基本であり、ジュニアはその性格上、別として、他の色を身に着けていたのは猪木と同世代の坂口、星野さん、後輩では白いシューズを履いていた長州くらいだったか。
(ただし、80年代も後半に入ると少しずつ他のカラーを身に着ける選手が出てくるが。)

自分自身、黒が好きだったのでそれは大歓迎であったわけだが、今思えば星野さんの水色はその中で重要な役割を担っていた。

例えば、ジュエリーのルールに「はずす」というものがある。
ジュエリーの装着は目的の格によって細かく決まっているわけだが、何もかも完璧にキメていると相手に威圧感を与え、気疲れさせてしまう。
それを避ける為に、アイテムのどれか1つを遊び心を持ったものにして、相手をホッとさせる気遣いが歓迎される。

又、サーカスのピエロ(シルク・ドゥ・ソレイユのクラウンは素晴らしい)、バイクのブレーキの遊びなど、緊張を和らげるワンクッションの役割がいかに重要かがわかる。

星野さん自身は先輩の特権で好きな色を身に着けていただけかもしれないし、タイトルにも絡まず、好き勝手に暴れるのが性に合っていたのかもしれない。

だが今思い出すと、黒々とした殺伐としたリングの中、その黒はまるで背景のようになってしまい、水色のタイツに白いシューズで暴れまわっていた星野さんがより一層鮮明に浮かび上がる。

スカイブルー。

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また一人、プロレス界の偉大な功労者が亡くなった。

「金曜夜8時」。
今ではノスタルジーを伴う伝説のようになってしまった言葉だが、私がワールドプロレスを観始めた当時、初代タイガーマスクのデビューをキッカケに、一時は毎週視聴率20パーセントを越えていた「プロレス黄金時代」と言われる時代だった。

そのワールドプロレスを実況面で支えたのが、古館アナと解説の小鉄さん、そしてゲストの東京スポーツの櫻井氏という面々だった。
番組が始まり、古館アナから実況席の紹介が終わり「さて!リング上では…」と続くと、「これから至福の1時間が始まる」とワクワクしたものだった。

その、解説をしていた当時の小鉄さんで印象に残っていることがある。

1983年前後だったかと思うが、いつものように番組が始まってしばらくした頃。
古館アナから、思いもよらない緊急アナウンスが入った。
一般試聴者からの依頼ということで、依頼主はプロレスファンの息子さんを持つお母さん。

アナウンスによると、息子さんが家出をしてしまい、行方がわからない。
ただ、大のプロレスファンなので、この番組をどこかで必ず見ているハズ。
心配している、連絡してくれ、という内容だった。

古館アナが一通りの説明を終え、小鉄さんに「心配ですね」という感じでその話題を振った。
そして、小鉄さんの返答もまた思いも寄らないものだった。
曰く、

「一人で悩んでいないでよかったら新日道場に来てくれ。」

もっといろいろ話していたように思うが、大意はこんなところだった。

当時の新日道場は、アントニオ猪木の方針でオープンだった。
常時見学自由で、一般のプロレスファンが自由に選手のトレーニングを見学することができた。
プロレスのトレーニングは、いつ何時誰にでも自信をもって見せられる、ということを身を以って示す目的だったと思う。

蛇足だがこの「新日道場」という呼称について。
当時高校生の私は剣道部だったのだが、格技場(施設によっては「武道場」)に入る時に、
入口で上座(入口の正面に当たる壁)に向かって礼をして「お願いします!」と言わなければならないとか、
上履きであろうがなんだろうが、靴の類を履いて入ってはダメだとか、
練習の初めと終わりに主将や顧問の先生にならわかるが、上座の壁にまで礼をしなければならないとか、
出る時はまたまた上座に向かって「ありがとうございました!」と言いながら礼をしなければならないとか、
意味がわからないがとにかく「武道をする場所は神聖なもの」ということを「道」の精神どおり型から学んだ。

プロレスは柔道や剣道などと同じ「道」ではないが、新日の練習場が「トレーニングジム」などではなく「道場」という名称であるからには、なるほど精神鍛錬の目的もあるのかと、精神性を重視する猪木さんとつながったような気がした。

そして、後に前田日明が「キャデラックの音がしただけで震えあがった」と回想した鬼軍曹・小鉄さんは、ただ恐ろしいだけのコーチではなかった。

思えば現役時代、不利な体格をカバーするために、自身も鬼のようなトレーニングをしていた小鉄さん。
だからこそ、悩み多き少年の心情を親身になって考えられるのだろう。

それまで、雑誌の相談コーナーなどで見る大人の対応といえば、自分達子どもの悩みに対して明らかに自己の保身から形式主義のモラリズムを以って上から目線で説教されたり、あるいはなんとなく丸め込まれている?と思うようなものばかりだったが、小鉄さんは「一人で悩んでいないで道場に来い」と言ってくれた。「一緒に汗を流そう」「話を聞く」と言ってくれた。

自分が好きな世界の大人が真摯な姿勢で対応してくれることは、「信頼」という気持ちを育てる大きな力になる。
この世は敵対する存在ではなくなる。

その後、家出をした少年がどうしたかはわからないが、次の週の番組内では何もふれていなかったことにも、子ども心に「そっとしておこう」という意図がわかり、より一層信頼感が増した。

小鉄さんはその後、いろいろな団体のコーチをしたが、常にこの真摯な姿勢を持ち続けたのだろうと思う。

利休色。

ラッシャー木村が亡くなった。

ほぼ新日しか見ない私にとっては、ラッシャー木村についての思い出もやはり新日時代のことになる。
それは、言わずと知れたアントニオ猪木との抗争。
図らずも、この抗争を後年思い出すにつれ、アントニオ猪木という人物の底知れなさと、それに対比される木村の人柄の良さを改めて認識する。

ラッシャー木村が新日に登場したのは、所属していた国際プロレスが消滅し、アニマル浜口、寺西勇と共に闘いの場を求めて新日に乗り込んできた、という図式だった。

当時の新日はアントニオ猪木を頂点とした確固たるヒエラルキーがあり、アントニオ猪木を絶対視する偏狭で閉鎖的で攻撃的な新日ファンに至っては、猪木教、新日教信者とも揶揄されていた。
その思考停止した(汗)猪木信者にとって、この図式はまんまとハマった。

初登場時の人柄の良さからくる自己プロデュースの失敗もなんのその、木村は浜口、寺西とともに「はぐれ軍団」という名称までつけられ、瞬く間に大ヒールになってしまった。
そして抗争が激化していき、行き着いたところは、猪木vs木村、浜口、寺西の1vs3ハンディキャップマッチ。

こんな非情なマッチメイクが未だかつてあっただろうか。
木村は元国際プロレスのエースであり、「金網の鬼」と異名をとった金網デスマッチのスペシャリストである。
その木村たちに向かって「3人まとめてかかってこい」。
つまり「お前らは3分の1人前だ」と言っているに等しい。

その奇抜なアイディアに当時のファンは狂喜し、15歳だった私もレフェリーまで3人借り出されたその試合を喜んで見ていた。

今にして思えば、木村はよくあんな非常識で非情で失礼なマッチメイクを受けたものだと感心する。
アンドレでさえ、2vs1のハンディキャップマッチは嫌ったというのに。
木村の懐の深さがあったからこそ成り立った試合だったのだろう。

そして、アントニオ猪木という人物の発想・行動にはどこまで制約がないのか。
そしてそれが「毒」としての魅力を持つから困ったものである。
(本当は困ってなどいない)

利休色。

「逃げる場所がなかった。帰る場所がなかった。」
試合後、バックステージで「這い上がってやろうと思わせたものは何だ」との記者の質問に答えたセリフ。

絶望的な不自由さからスタートした真壁のプロレス人生。
不遇だったから、不自由だったからこそ、色々なことを受け入れざるを得なかった。
真正面から対抗し、誰はばかることなく打ち破るようなチャンスは与えられなかった。

しかし、真面目な真壁はそうやって何もかも取り込んで行き、雑多な情念と反骨精神とが混じり合って、ベビーともヒールとも言えない魅力的なキャラクターができあがった。

そして満を持してのIWGP初戴冠。

若手時代、大谷に「もっと喋れ」とアドバイスを受けた真壁。
それを忠実に実行し、当時は「試合時間より試合後のコメントの方が長い」と言われた。
そんな努力も今開花している。

試合後のリング上からの勝利者インタビュー。
「俺はアイツの生き方が嫌いで全否定していた。アイツは俺の生き方が嫌いで全否定していた。でもそうでなきゃプロレスは面白くないだろ。」
まるでこの瞬間を待っていたかのような言葉だった。

入門以来14年間、数え切れないほどのものを受け入れてきた真壁。
最後に残されていたことは、自分も他者も、共に許容すること。

相手を否定する自分も受け入れ、自分を否定する相手も受け入れ、いつの間にかプロレス人生のみならず、人格形成上の理想形と言われる全方面OKの境地にたどりついていた。
360度OK,否定することをも許容する。
マスタークラスか、はたまたウルトラCか。

不自由からスタートした真壁が、とうとう究極の自由を手に入れた。

ナイルブルー。

今日改めて考えた。

対戦相手のオニギリは、タップをした記憶がないので、ギブアップかどうか自信がなくなってきた。
確か、マットに叩きつけたらそのまま動かなくなったような…。
もしかしたらKOかTKOだったかもしれない。

そうだ! レフェリーがいなかったので、きっとデスマッチだったんだ。
KOに違いない!

梅鼠。

プロレスの試合をした夢を見た。
相手はオニギリ(ウメ)。
マットに2回叩きつけてギブアップを勝ち取った。

これで、「ホウキを相手にしても名勝負ができる」と言われたアントニオ猪木の領域に一歩近づけた。

老竹色。

いいもの見つけた♪ その名も「闘魂スナック」!
パッケージの下の方に「50th ANNIVERSARY」と書いてあるので、デビュー50周年記念の一環??

nikki-toukonnsnack1.jpg緑の方はジャーマン・ポテト・スープレックス味。
裏面は、必殺技シリーズ。







nikki-toukonnsnack2.jpg
赤は炎のエビチリ固め味。
裏は闘魂の歴史シリーズ。





味の命名のノリがまるで猪木酒場のようだ。
食べてみたいけど開けたくない(笑)

緋色。

三沢さんの件があってから、駅前の書店に何冊かの三沢本が並ぶようになった。
三沢著「理想主義者」と、仲田ドラゴンのナントカというのと、あとは忘れた。

それで、パートナーに「理想主義者」をプレゼントした。
私も見せてもらったのだけど、目次の各フレーズが非常によくて、まるで三沢名言集のようだった。

昔、とある研修を受けるのに、講師の人が「テキストを読むのに、まず目次をよく読むと内容がわかりやすい」と言っていたことがある。
その言葉をこの本で実感した。

私は三沢さんについてはよく知らないが、三沢さんの人柄や信条がよく伝わってきて、何を言いたいのかなんとなくわかるような…。

千歳緑。

nikki-bara-sonotamisawa.jpg黄色があってよかった。
白もあったけど、どうしても白という気分ではなかったんですよね。

エメラルドグリーン。
今、ふと浮かんだ。三沢さんには何色のバラが似合うかな?と。
そしてすぐに、明るい黄色のバラが浮かんだ。

「エメラルド」といきたいところだけど、それくらい濃い緑のバラはないのでいまいちピンとこない。

黄色は「仲間」を象徴する色。
というか、もしかして「タイガー」のイメージがあったからかな?

黄色。

今度はレフェリー、テッド・タナベさんが…。
心不全だったらしいし、三沢さんのことが心臓に悪かったのかもしれない。

本題だが、そういう私も三沢さんの件ではある異変が自覚できる。
というのは、「バックドロップ」という技を思い出せなくなってしまったのです。

普通、メジャーな技はその単語を聞くとすぐに映像が浮かびますよね。
それが、ブレーンバスターやDDTなど他の映像が浮かんでしまい、10秒くらい考えて思い出す、という感じです。

こういう事件が起こったとき、このように人によって様々な現象が起きるそうだ。
おそらく「急性ストレス障害」というものだろう。
それは自然なことなので、私のこの場合はムリに押さえ込もうとしたり反発したりせず、「こういうこともあるんだな」くらいに捉えている。

ブルーグレー。

訃報を知ったのは深夜だった。
昨日はPCを開いていなかったので、心肺停止状態だったのも知らず、就寝直前にマイミクさんのメッセージを読んでびっくり。
すぐにPCを開いて情報を探し回ること2,3時間…。
一旦寝たものの、2時間ほどでまた眼が覚めてしまい、8:00からの日テレの番組TOPを最初からしっかり見られた。

三沢選手を見て、体調が悪そうだというのはきっと誰もが感じていたことだと思う。
特にファンでもなかった私がそう思うのだから、事情を良く知っているファンの方は非常に心配していたのではないか。

後だしジャンケンみたいだが、いつだったか試合中の三沢選手の顔を見て、その顔色の悪さや表情にびっくりして病気なんじゃないかと思ったことがある。
何度か書いているが、似顔絵を描く関係で人の表情がけっこう気になるタチである。
長年プロレスを観ていたが、それまで見たこともない、ただのダメージから来るものではない表情が気になっていた。
例えは悪いが、いじめられっ子がいじめられているような…。

そして、私の問題はそこからである。
そのような違和感を持ったのに、そのままスルーしてしまったのだった。
試合は見続けていたのだが、特にファンではないという意識からか、
「あ~疲れているんだな~」という感想で終わってしまった。

そこで違和感を持ったのなら、ナゼその感覚を信じて観察しなかったのか(便宜上、「観察」という言葉を使いますが、ファンの皆さんすみません)。
この場合、三沢選手という「人」を見るのではなく、「表情」を見るべきだったのだ。

「違和感を持った」という感覚は「勘」のようなものだと思うけど、そもそも「勘」というのは経験から導き出された統計である。
今まで二十数年間、毎週毎週、何人もの選手の表情を見続けて、その蓄積されたデータに照らし合わせて「コレはおかしい」と無意識が教えてくれたようなものだ。

「無意識」の解釈は、そちら系の書物を読んでいるとだいたいこういうことである。
私はユングが好きだったのでそれによると、

意識というのは、海に浮かぶ島である。海にはいくつもの島が点在して見えるが、一つの島が一人の人間の意識である。
その島は、海の中へ続いていく。その隠れた部分がそれぞれ一人の人間の「個人的無意識」である。
その更に下は、海の中で地面につながっている。どの島も同じ一つの地面につながる。この地面が「集合的無意識」である。
集合的無意識は、今までの人類全ての英知がつまっている。それぞれの個人は、無意識レベルで全人類とつながっている。

と、昔の拙い知識を引っ張り出してきてみた。
ちなみに、どこかのセミナーでフロイトの無意識の解釈を聞いたが、少し違ってしかも性に合わなかった(そういう問題?)ので忘れた(汗)

とにかく、その無意識の力を信じてよく表情を注視することが必要だったのだ。
そうすれば、私の中でなにかが変わった可能性も否定できない。
例えば、なぜこんな表情をしてしまうのか無性に知りたくなる、
「家庭の医学」かなにかで症状から原因を調べてみたくなる、
ネットでもその関係のサイトを見てみたくなる、

という具合に、自分が集中して取り組んでいることには、なぜかそれに見合った情報が目に付くようになる(おそらく無意識が選んでいるのだろう)のは誰もが経験したことがあると思う。
そして究極、理由はわからないがNOAHのフロントにメールを送りたくなる、とか。
新日ファンだからとか、根拠もないのにとか、そもそも人が人の心配をするのに条件などいらないのだ。

おそらくそういったメールもたくさん届いていたのだと思うが、例えば1通と100通では効果が違うと思う。
1通からは1通分の、100通からは100通分の無意識を感じ取る、ということはないだろうか?

その結果、何も変わらないかもしれない。でもやってみれば何かが変わる可能性が発生する。
今どうするかの選択によってその先が変わる。
もし取り越し苦労だったらこんな嬉しいことはないではないか。

大げさかもしれないけど、自分の感覚をもっと信じることが誰かの命を救うことにつながるのなら、みんなでもっと自分を信じよう。
外界の様々な要素によって自分を見つめる機会が減ってきたり、外界からの作用によって自分というものが脅かされることもあるが、本来の姿であれば、自分が一番自分を信じているはず。

ダークグレー。

久しぶりに昔のプロレスビデオを観た。
どれくらい昔かというと、1991年のワールドプロレス。
3.21東京ドームの「スターケードin闘強導夢」ですよ懐かしい。
内容は以下の通り。

●1/60
 グレート・ムタ(11分41秒 片エビ固め)スティング

●ザ・グレーテスト18クラブ指定試合 1/無
 長州力(11分07秒 KO)タイガー・ジェット・シン

●NWA世界&IWGP両ヘビー級選手権試合 1/60
 藤波辰爾(23分06秒 グランド式あばら折り)リック・フレアー

ドームが勢いづき始めた頃かな? この雰囲気、よかったな~。
ムタも長州も藤波も若い。

ホールドアウトのムタバージョン、カッコいい。
今は無きグレーテスト18クラブ(笑)長州とシンの迫力ある流血マッチ。
そしてNWAを獲った藤波。後日、オーバー・ザ・トップロープのクレームをつけられ
て返上したんだったかな?
でも一度はNWAチャンピオン!

威風堂々たるフレアー。世界最強の間合い。
コーナーポストでの「ノーノー」が若い頃は腹が立ってしかたがなかった(笑)
残念ながらこの試合では出なかったが。

20~10年ほど前までは毎週ビデオに録っていたのだけど、捨ててしまったものもかなりある。
今残っているものはどうしても取っておきたかったもの。
時間があったらまた別のを見てみようと思う。

オールドローズ。

マイミクさんから、小橋が出るという情報を聞いて「泣ける歌」という番組を見た。
どんな番組かは知らなかったが、多分、ゲストが感動した歌のエピソードがあるのだろうということは察しがつくので、小橋のような人がどんな歌に感動したのか興味があった。

大まかに説明すると、小橋というのはプロレス界の偉人で、一昨年の12月には大病からありえない復帰をし、もはや生ける伝説のようになってしまった人。
その大病中に心の支えにした歌が紹介された。

その歌とは、甲斐バンドの…えーと、なんだっけ…(汗)
「熱狂」? 「ステージ」?
すみません、タイトルはもう忘れかけています。
というか、大事なのはそれを見て感動したことなので、タイトルの問題はご容赦ください(汗)

実は甲斐バンドの歌を聴いたのは今回が初めてなのだけど、普通の状態の私が今なんとなく聴いても、なかなかいい歌だと思った。
小橋の入院中にあるファンが送ってくれて、それ以来ずっと聴き続けていたのだそうだが、歌詞が自分とダブると言う点を強調していた。

カウンセリングに、音楽療法というものがある。
精神や感情のバランスを回復する手段として、起源は古代ギリシャにまで遡る。
それは、患者の気分や症状と同質の音楽が用いられる。
辛い時は辛い曲、悲しい時は悲しい曲が患者の関心を捉え、そしてそれらのプログラム等により機能訓練が行われる。
我々が普段音楽を聴くのもきっと同じようなものですよね。

小橋が強調していた歌詞、それはセンチメンタルで普段の小橋からは想像もつかないようなもの。
そして、よほど歌詞が気に入ったのだろう、曲については特に触れていなかったが、これも寂しさ、甘さが漂うバラード。

今まで、例えれば異常なほどのハードロック的なプロレス人生を送ってきて、ここにきてのインターバル。
多分、曲も歌詞もこの時の小橋だからこそ惹きつけられるものがあったのだろう。
この曲を小橋に送ったファンは、小橋になりきっていたのかもしれない。

小橋の前で甲斐よしひろの生演奏。終わって一人スタンディングオベーション。
司会に促されて両者が握手をした時、両手で握った小橋がいつまでも離さず、甲斐よしひろが改めて握り返したのが印象的だった。

紫。

飯塚vs永田のチェーンデスマッチ。いつの間にかそんなに遺恨が深まっていたのね(汗)
デスマッチもいろいろあるが、相手とつながれて逃げられず、しかもそのつないでいるものが凶器であるという点で一番スリリングかな?

デスマッチらしいラフファイトに終始した試合だったが、流血についてアナウンサーが「永田はサラサラ血、飯塚はドロドロ血」って…。
健康番組ですか。気をつけてくれないとお笑いになってしまいますよ。
中西を必要以上にバカバカ言うこともなくなったが、より一層の注意を促したい。

ところで、デスマッチの呼称について、ナゼか勝手に「デス」を省略しているものがあることに気がついた。
ケージマッチ、カベジェラ・コントラ・カベジェラなどもともと「デス」に当たる言葉が入っていないものもあるが、
このチェーンマッチ、ネールマッチについては自分でも知らないうちに省略していた。
多分、チェーンだのネールだの、もともと物騒な単語が入っているからだろう。

ところで、飯塚vs永田はチェーンマッチで再戦を行うそうだが、「ドックカラー・チェーンデスマッチ」ってなに?? 医者の襟?
もしかして、ドッグの間違い??

闘いの大海原。

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